デリー空港。正式名はインデラ・ガンジー空港。元女性首相の名前を取っている。
空港から市内までの最新式の電車は日本製だった。
デリーのシンボルマーク、インド門。
今年は円高とか、自身の歯の治療で予想外の費用が掛かり、外国旅行は春先に身内の兄弟と一緒に行ったニュージーランドと7月に稲さんと行った台湾の2カ国のみで、年内、或はこの先の年末年始の旅行の予定もない。7月末から8月月初にかけてのモラエスの足跡を辿った徳島~神戸の旅行記が先週52回目の連載で終了となり、その後の継続旅行も無いため、毎日が殆ど手持無沙汰の状態になっていた。そこで、2年前のインド旅行記、カメラを2台とも盗難され、他から借りて来た写真を取り繕って続けていたが、どうも手間暇がかり、6回目の連載で中断していたが、今回時間もあり、又、種となる新たな旅行もないので、この旅行記を継続することにした。尚、その際以前のペイジ名は「最悪のインド10万歩の旅」とのタイトルであったが、今回新たに再開するに際し「最悪のインド旅行記」と名を改めた。
自分が旅行するときはこまめに写真を撮り、後からその写真を見てその時、その場所の情景を思い出し旅行記を作成していて、普段余りメモとか、記録を取っていないので、細部にはちょっとした記憶違いや間違いなども出て来るが、それはこの旅行記自体が学術書ではないので、そうした個々の小さな誤りは是認されるべきと思っている。しかし、自身に取って最大の問題は、こうした細部の問題ではなく、写真が手元になく、旅行全体の行程に於ける記憶が多く欠如しているという点である。カメラを盗まれた時、何故即座にカメラに代わる記憶媒体としてノートを購入し、こまめに記録しなかったのか、という悔やみである。
以前にカンボジアを旅行していた時、今回同様にカメラを盗まれたが、その時は街の文具店でノートを買って、その時までの旅先の情景や、この先の旅行の模様をノートしていて、帰国後に「写真の無いブログー悲しみのカンボジア」(http://blogs.yahoo.co.jp/ciaocommodore/folder/1505494.html)とのタイトルで、合計23回の旅行記に纏めることが出来たが、この時のインド旅行には最初から驚いたり、肝を冷やす状況がハナからあって、そうしたノートを買って旅先の記録を付ける、等までは頭も回らなかった。
2年前の帰国直後のことであれば、旅行中の見聞もまだ記憶に鮮明に残っていて、写真もメモも無くても旅行記を作成することが出来たが、2年も経った今では、記憶も殆ど薄れかけていて、この先の継続作成に困難が予想されるが、幸いに、ホテルの名刺やレシート、E-チケットの控えやボーデイングパス、或はお土産品等々が残っているので、それ等を照らし合わせ、何とか記憶を辿り、一連の旅行記を作成して行きたいものである。
取り敢えずこの時の旅行は、以下のスケジュールであった。
2013年10月4日、JALにて成田発、ニューデリーに2泊し、
10月6日、Jetエアーにてニューデリーからベラナシ(バナーラス)へ飛び、そこで2泊し、
10月8日、列車にてブッダガヤまで行き、そこで2泊、
10月10日、列車にてブッダガヤからコルカタ(カルカッタ)へ行き、2泊、
10月12日、Jetエアーにてコルカタからニューデリーに戻り、2泊後、
10月14日、JAL機にて帰国の途についた、ものである。
自分が旅行するときはこまめに写真を撮り、後からその写真を見てその時、その場所の情景を思い出し旅行記を作成していて、普段余りメモとか、記録を取っていないので、細部にはちょっとした記憶違いや間違いなども出て来るが、それはこの旅行記自体が学術書ではないので、そうした個々の小さな誤りは是認されるべきと思っている。しかし、自身に取って最大の問題は、こうした細部の問題ではなく、写真が手元になく、旅行全体の行程に於ける記憶が多く欠如しているという点である。カメラを盗まれた時、何故即座にカメラに代わる記憶媒体としてノートを購入し、こまめに記録しなかったのか、という悔やみである。
以前にカンボジアを旅行していた時、今回同様にカメラを盗まれたが、その時は街の文具店でノートを買って、その時までの旅先の情景や、この先の旅行の模様をノートしていて、帰国後に「写真の無いブログー悲しみのカンボジア」(http://blogs.yahoo.co.jp/ciaocommodore/folder/1505494.html)とのタイトルで、合計23回の旅行記に纏めることが出来たが、この時のインド旅行には最初から驚いたり、肝を冷やす状況がハナからあって、そうしたノートを買って旅先の記録を付ける、等までは頭も回らなかった。
2年前の帰国直後のことであれば、旅行中の見聞もまだ記憶に鮮明に残っていて、写真もメモも無くても旅行記を作成することが出来たが、2年も経った今では、記憶も殆ど薄れかけていて、この先の継続作成に困難が予想されるが、幸いに、ホテルの名刺やレシート、E-チケットの控えやボーデイングパス、或はお土産品等々が残っているので、それ等を照らし合わせ、何とか記憶を辿り、一連の旅行記を作成して行きたいものである。
取り敢えずこの時の旅行は、以下のスケジュールであった。
2013年10月4日、JALにて成田発、ニューデリーに2泊し、
10月6日、Jetエアーにてニューデリーからベラナシ(バナーラス)へ飛び、そこで2泊し、
10月8日、列車にてブッダガヤまで行き、そこで2泊、
10月10日、列車にてブッダガヤからコルカタ(カルカッタ)へ行き、2泊、
10月12日、Jetエアーにてコルカタからニューデリーに戻り、2泊後、
10月14日、JAL機にて帰国の途についた、ものである。
市内の道路は整備されている部分もあるが、雑多な通りも多い。国会前の行政地区は、比較的整備されている。
コンノート・プレース。デリー駅から車で10分もかからない。徒歩でも20程で行ける、整備された地区。この近くの旅行代理店に騙された!
お土産に買ってきたアルカイック風の頭部。隣はヒンドウ。
悪評高いインド国鉄。