ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(12)インド地下鉄事情。

デリー国際空港からデリー中央駅までは日本の技術援助、資金援助で建設された直結電車が走っている。日本の最先端技術で、東京の地下駅と変わらない。
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空港アクセス電車の車内。旅行用バゲージを置く棚も作られている。
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途中駅の状況。近代的で日本と変わらない。
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一方でデリー市内を走る地下鉄は凄い混雑。この写真は上等な場面。
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昨日(2015.10.13.)安倍総理はインドを公式訪問し、モデイ首相との間に新幹線建設の協定書を結んだ。インドは台湾に続く日本の新幹線の2国目の輸出国となる。日本人にとっては心から喜ばしいことで、お正月前のビッグなお年玉となった。この安倍総理の訪印と調印にちなみ、今日は旅行の順番を替えて、インド鉄道事情を記録して置こう。所謂、最悪のインド鉄道搭乗記録だ。

今日から2年前の2013年10月、3カ月ぶりにインドを訪問したが、この3か月前は阪急トラピックスのツアーで、町から町への移動は全てツァーバスで、街中を歩くということもジャイプールでのごく限らた小範囲以外にはなかったが、今回の旅行は単独行で、自分自身で何から何までやらなければならなかった。先ずデリー空港から市内に出るのに電車に乗ったが、空港ビルの隣の地下から出る快速電車は軽快で近代的で、新生インドの息吹が感じられた。デリー中央駅までの凡そ30キロ程は高架になっていて、3つ4つの途中駅も新しくモダンな感じのものだった。以前の東急車両のように、銀色の車体はスマートで、如何にも近代的なデザインであったが、よくよく見ると、それは日本のメーカーが製造したものだった。

翌日デリー駅の雑踏の中で、ポケットカメラが盗られたのは全く不運であったが、いずれにしても自身の不注意と諦めざるを得ないものだった。この時、インド鉄道の凄まじい需要、混雑度を肌で染みることとなった。その日の午後、警察での調べが済んだ後に、昨夜のホテル代をキャンセルした前払いの代金を回収する為、再びコンノート広場まで出向いた。近寄って来た最下層、不可触民の青年に案内されて、それらしく代理店事務所を訪問したが、似たような事務所が何軒かあって、結局分からず仕舞に終わってしまった。案内役の青年には、広場に面したレストランで、南インドの料理を奢ってやった。

帰りはコンノートの地下鉄駅からデリー駅まで戻ったが、将に殺人的ラッシュ。チケットブースも開札もホームも車内も人で溢れ返っていた。乗車率200%300%の薄暗い車内で身動きも出来ず、前の人の背中の汗とカレー臭から顔をそむけるのが精一杯で、漸く2つ目の駅で降りることができた。これが本当のインドかと。昨日乗った空港アクセス電車は、あれはインドではなく、全く別の世界だと。東京の郊外型電車と全く変わらない昨日の電車と、今日のこの地下鉄との落差! インド人のバイタリティーと言おうか、インドの混沌と言おうか・・。人口急増に追いつかない都市整備。電車の中は賤民も貴族もない、皆一人の平等な乗車客。押し合いへし合い、我先に!



我先に乗り込んでいく。40年前の日本、20年前の中国と変わらない。
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中国に次いで人口の多い国。人のパワーだ。
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コンノートプレース。この広場(公園)の地下に駅がある。
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沢山の人。皆それぞれ目的を持って、どこかへ向かっているのだろう・・
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