ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(21)バラナシの人々。

ガンジーのガートには大勢の人々が集まってきている。
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インドのどこからやって来たのか、ツアー客の一団が、ツアーガイドの説明に聞き入っている。
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この階段の下は沐浴場所になっている。
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地方からやってきた人々は、有難く沐浴を始める。
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ガートの建物は、増水に耐えられるよう、厚いレンガで、積み重ねられている。
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バラナシは古い町で、街並みは秩序だってなく、誇りっぽく、非衛生だ。それは聖牛が路地の至る所にいて、至る場所に糞をして、その糞が乾燥し、巻き上がっているのかも知れない。この国で牛が何故神聖な四足動物になっているのかは知らない。以前何かの本で読んだ記憶では、インドの学校では、牛について、・農耕の助けになり、・牛乳を飲め、・肉を食べられ、・皮は靴になり、・糞は燃料になって、捨てる所が無い、と教えられているそうだ。子供の頃から神聖な動物として敬われているのだから、大人になっても牛を叩いたり、追い払ったり、イジメたりをするようなことはないのだろう。

近代化から取り残されたような町に住んでいる人々は、全体的に時間がゆっくり流れている中で、本当は貧乏で貧しい生活環境にあるのだろうが、一向にあくせくせずに、ゆっくりのんびり生活しているようだ。心に葛藤も悩みも無く、自然の時の流れに身を委ねているようだ。金持ちで贅沢な一般的日本人よりも、より豊かな心の寛ぎを持っているようだ。人生50年。輪廻転生の一時を人間として生きているかのごときだ。旅行したければ足で歩き、歩ける範囲を旅行したらよい。2500年前、お釈迦さんがやっていたように。

ガンジス河岸の段丘にはそうした哲学者、ヨギ、ヨガ、求道者があちこちにいる。まんじりともせず川に向かっている。が、川は見ていない。思考も停止しているだろう。無我の境地というおか、空観と言うのか・・。これがインド的なのだろう。デリーの地下鉄の大混雑、これから乗ることになるインド国鉄、寝台急行の殺人的混乱から比べると、何と異次元の世界だろう。この混沌として、収まりの付かない多様性がインド的なのだ。


ガンジーの川は濁って泥混じりだ。
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河岸にはヨガの行者や、薬売りなどが客を呼び止めている。
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ここでは又宗教家の話に聞き入っている。
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町は狭い路地が入り組んでいて、雑然としている。
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ドロボーか哲学者か・・
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