ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(29)スジャータ村のストーバ。

ブッダガヤの横を流れているニランジャナ川(尼連禅河)の対岸にはスジャータ村がある。
イメージ 1



修行でやせ細ったお釈迦様にこの村の娘スジャータはヨーグルト与え、介護した。
イメージ 2



今そのお釈迦様が助けられたスジャータ家の後には、大きなストーバが建立されている。
イメージ 3



ストーバの干し煉瓦を触ると、2500年前の情景が彷彿される。
イメージ 4



それから数キロ走った集落の咲きには産土のような社があった。
イメージ 5




マハーボデイー寺院(大菩提寺)からホテルに戻る為、土産店の立ち並ぶ参道を歩いていると、中年の男が「日本人か?」と聞いてくる。「そうだ。」と答えると、「まだ夕方まで時間があるので、川の向こうのスジャータ村へ案内してくれる。」と言って来る。バイクに乗って300円で往復してくれると言う。

スジャータ村?」どこかで聞いた名前だが、どこか日本の飲料水メーカーでそんな名前の果汁飲料とかアイスクリームを売っている会社もある。その彼の説明では、スジャータとはその村の娘の名前で、仏陀が山の上で修行し、ガリガリにやせ細った身体で村にやってきて、前の川、ニランジャナ川で沐浴をした。憐れんだ娘が仏陀にヨーグルトを飲ませ、自宅に招いて栄養を与えた、との故事があるとのこと。今その娘の自宅は大きなストーバになっている。一見の価値があるとのことである。300円なら安いので、バイクの後ろに跨って、その村へ行くことにした。

「ニランジャナ川」、日本の仏典にも出て来る「尼連禅河」。幅広の大きな川で、土手はそれ程高くない。流れる水は少なく、川の真ん中辺りを浅く流れている程度だ。後は砂利混じりの幅広の河原が広がっている。スジャータ村は橋を渡った反対側にあるが、この程度の水量なら歩いても渡れそうだ。膝下にも届かないだろう。現に村の女性など、ザルかごを頭に載せて、ゆっくり河原を渡っている。

橋を渡った直ぐの所がスジャータ村。泥を固めたようなひしゃげた家屋が並んでいる。貧しさが地を這う様な感じだが、その集落を通り過ぎた場所に大きな土饅頭、土ではなく乾かしたレンガを重ねたような大きなストーバがあった。一応は柵で囲われていて、勝手に中には入れないが、遠くから見ても何か雄渾な感じがする。そのどっしりとした丸饅頭の形が安定感を呼んでいるのだろうか。男の説明では、嘗て、仏陀スジャータに助けられ、食事を与えられた頃、ここにはスジャータの家族が住んでいた。父親は村の有力者だった。その後、スジャータ一家が住んでいたこの場所にこの様な大きな卒塔婆が建立された、との説明だった。その土饅頭を触っていると、何か2500年前の情景、やせ細った仏陀と彼を介抱する村の娘スジャータ。何か二人の会話も聞こえそうだった。

更にここから数キロ先に村の産土神のような場所があり、そこへ案内される。50坪位の小さな敷地の真ん中に産土神が祀られ、集落の信者らしい数十人が壁際に座して何か、祈りを捧げている。ここへ案内された意味も背景も良くは分からなかったが、珍しい光景と見ていると、屈強な男がやってきて、寄付を強要する。お金を持っていない、と言ってもしつこい。インドルピーが無ければ、日本の金でも良いと言って、離さない。先日のベナレスのウオッチングタワーの男たちと同じしつこさだ。彼等も生活で背に腹は代えられないのかも知れないが・・。ドライバーはどこに消えたのか、姿が見え得ない。止む無くポケットから100ルピーを出して、早々にその場を離れると、どこからともなくドライバーが姿を現し、直ぐにもブッダガヤに戻るようお願いした。



ここも又お釈迦様に関連する場所かと思われたが、背景は良く分からなかった。
イメージ 6



50坪ほどの敷地の中で、村の信者が壁際に座って何かの儀式をしていた。
イメージ 7



一体、この人たちは何をやっているのだろう・・。
イメージ 8



ニランジャナ川。水量は少なく、大半が砂利混じりの河原になっていた。
イメージ 9



スジャータ村の女性。
イメージ 10


イメージ 11