ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(30)ラージギル(王舎城)へ。

今日はブッダガヤから40-50キロ程北にあるラージギル(王舎城)1日観光をする。
この川は、ニランジャナ川(尼連禅河)の上流か支流か・・。橋が無いので、浅瀬を車が渡っている。
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途中事故でもあったのか、車が渋滞していて先に進まない。
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事故渋滞かと思っていたら、そうではなくて、地元の若者が通行する車両から通行代(手数料)を徴収している。そう言えば、前回のトラピックスツアーのバスでも同じような、通行料金徴集が時々あった。
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さて、これから霊鷲山に登る。
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金比羅山の駕籠かきもいて、足の悪い人は加護に乗って山頂に向かう。
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多くの人々は約1キロの参道を景色を眺めながら歩いて登る。
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今日は朝一番でラージギル(王舎城)へ向かう。ラージギルはお釈迦様が生きていた頃、マガダ王国と言われ、東北インド地方(現ビハール州)の強国の王都で、後、東北部全域を支配することになるが、釈迦没後200年位後にアショーカ王がこの国の国王になり、仏教に帰依したのは有名な話である。ここはブッダガヤからは凡そ40キロ位離れた場所にあり、ビハール州の田舎道をオンボロ車に乗って行くことになった。

王舎城(ラージギル)には幾つかの仏教史跡があり、それ等は全てお釈迦様に関係するものであって、有名な所では竹林精舎、霊鷲山、ナーランダ仏教学院等が散在していて、先ず最初に案内されたのは、霊鷲山だった。霊鷲山は凡そ300m程の岩山で、山頂に鷲の頭を思わせる平らな岩があり、その形からこの様な名前「霊鷲山」と名付けられたようだが、この山頂でお釈迦様は仏教の教えを人々に説いていた。

釈迦入滅後の数世紀、インドに於いては仏教が下火になり、マガダ王国自体も滅亡し、この辺りは林野に覆われてしまって、この場所も所在不明になっていたが、明治の終り頃、真宗本願寺門主大谷光瑞氏により発見され、今では仏教聖地の最重要個所の一つになっている。大谷光瑞法主と言えば、時間は前後するが、去年の夏(2015年)、神戸の須磨離宮を訪問したことが思い出される。

岩山の駐車場からは、勾配の緩やかな煉瓦を敷き詰めた参道を約1キロ程登って山頂に達する。その坂道の途中には、多分、不可触賤民だと思うが、乞食の家族が数メートル置きに道路端に座っていて、その前を通る度に右手の掌を差し出す。言葉は発しない。極力道路の中央を歩き、そうした人々を見ないようにして、上に向かう。タイやラオスのお寺でもこうしたことがしばしばあり、参道の入り口には札を細かい1バーツ以下のコインに両替してくれる場所もあり、沢山のコインを持って、一人一人に恵んでやったりしたことを思い出した。ここでも、もしこの事を事前に知っていたら、両替して参道を登ったのに・・。

山頂直下から大きな岩が見えて来て、半周するようにして上ると、平らな山頂に出た。そこは100坪程の平らな山頂で、一番奥に釈迦像が供えられ、折しもミャンマーからの参詣団凡そ20人程が、熱心な祈りを捧げていた。2500年前、お釈迦様はその今ある釈迦像の前で、民衆に仏の教えを説法していたのだ・・。霊鷲山の名前の謂れとなった大きな岩盤が右手後ろからこの祈りの場を覆うようにして張り出していた。この光景は2500年前と変わらないに違いない・・。



ここは仏教の聖地だけあって、アジア系の仏教徒が多い。
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山頂に近づくと、嘗てのマガダ王国王舎城)の今は亡き原野が広がって来る。
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ああ、霊鷲山山頂にやってきた。この平らな岩石が鷲の羽根のようだったのか・・
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この角度から見ると、鷲の頭だ。この後ろに幅広の平らな平石が広がっている。当方には亀の頭に見えたが・・。
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山頂は100坪程の祭壇になっていて、その中央には釈迦像が安置されていた。
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2500年程前、この場所でお釈迦様は民衆に最後の説法を行っていた。
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