ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(31)霊鷲山からの眺め。

霊鷲山山頂の祈りの場には、アジアの仏教国からの参詣者が絶えなかった。
イメージ 1



彼女達はミャンマーからやってきた参詣団のようだ。
イメージ 2



山頂からは嘗て栄えたマガダ王国の平原が茫洋と見渡せる。
イメージ 3



約1キロ先には多宝山の山頂も見える。
イメージ 4



多宝山山頂に見える白いパゴダは、日本のお寺、日本山妙法寺が建立したものだ。
イメージ 5




霊鷲山はちょっとした丘ではなく、しっかりした小山である。標高は300m程か。急いで登っても30分以上はかかるし、足の弱ったお年寄りが登って行くには、1時間以上もかかるだろう。2500年前の人々は、どこへ行くにも自分自身の足が頼りだから、現代人よりは数等倍足腰は強かっただろうが、毎日お釈迦様の説話を聞くためにこの坂道を登って、山頂まで来ていたとは大変だったに違いない。いや、そうした苦労をすることにより、お釈迦様の説話もより有難くなると言うものか・・。

今日では仏教信者が世界中から集まり、この坂を登って来る。そこにはお釈迦様は居ないが、遺徳を慕って息を切らせて登って来るのだろう。今お参りしている人達はミャンマーからやって来た参拝団だ。世界の最貧国の一つ、飛行機に乗ってここまでやって来るには大変な費用が掛かっているだろうが、一生に一度、贅沢を慎み、普段の生活を切り詰め、漸く念願適ってやってきたのだ。丁度敬虔なモスレムが一生の願いとしてメッカを目指すように。

山頂からは旧マガダ王国の原野が広がっている。殆ど緑の原野に覆われている。2500年前、この地方の最強国も今は無い。嘗ての王都は打ち捨てられ、王都はパトナに移り(現ビハール州都)、その後マガダ国自体も滅亡した。煌びやかな王都が廃都になり、緑なす原野になってからもう既に2000年の歳月を経ているか・・。

7世紀の初め、中国盛唐の頃、玄奘法師が遥々この国にやってきて、ここから程近いナーランダ学院で仏典を学んだ。その当時、この霊鷲山はどんなだっただろうか・・。釈迦没後1000年、この辺りは既に今のような原野に覆われていたのだろうか・・。仏教は2500年前のお釈迦に始まり、多くの中国僧インド僧によって中国に齎され、今や日本で隆盛を見ている。マガダが滅亡し、釈迦が寂滅し、野山は自然に還っても、仏教は廃れない。

ここ霊鷲山のインド名は「クリッドラクーダ」。鷲の頭、と言ったような意味だ。ここから1キロ程離れた場所に、更に100m程高い小山がある。そこは「ラトナギり」、日本名で「多宝山」と呼ばれる。この山頂には白い大きな仏塔、パゴダが建っていて、ここ霊鷲山からも良く見える。この仏塔は日本の寺院、日蓮宗系の日本山妙法寺が建立したものだ。麓からゴンドラリフトも出ている。一度はそこまで行こうかと思ったが、ドライバーが下で待っていて、ここまでの往復で既にかなりの時間を要した。行って見たい気もしたが、次回訪問の楽しみに取っておこう。



国破れ、既に2000年は経っているか・・
イメージ 6



麓からの参詣道が続いている。
イメージ 7



さて、下山する前に1枚記念写真を撮って置こう。
イメージ 8



うーん、良い思い出の地になった。
イメージ 9



最後にもう一度鷲の岩山にお参りし、下山する。
イメージ 10