ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(35)ナーランダの玄奘廟。

ナーランダ学院跡には、まだ掘り起こされていない遺跡も残されていた。
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こうした小さな個室の中で、修行僧は勉学に励んでいたのだ。
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広大なナーランダの跡地を出口に向かう。
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敷地内では、枯れ枝を集め、多分燃料にするのだろう、地元民も見えた。
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菩提樹なのか何なのか、こうしたインドの樹木が繁茂していた。
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ボチボチと、と言うか、細々と今尚遺跡発掘が行われているナーランダ学院遺跡を後にし、次に、そこからは程近い場所にある玄奘を祀る記念堂に向かった。中国風の大きくて立派な廟堂だ。先刻見た日本山妙法寺とは規模も壮麗さも大違いだ。成金主義と言ってしまえばお仕舞だが、こうした見栄を張るような事大主義的な建物は、中国各地の仏教寺院で数多く見て来た。この玄奘廟が、誰の手によって、どの宗教関係者によって建てられたのかは知らないが、最近、ここ10数年内に建てられたものだろう。全体が新しい。中国でも最近は仏教が再評価されてきて、五台山、白馬寺少林寺、補陀山、等々、どこにも大きなお寺が隆盛で、多くの参詣者を集めていた。

中国国内の大官大寺でのウンカのごとき群衆の波と違って、ここは至って静かだ。先刻の竹林精舎同様、仏教はインド人の生活の中に組み込まれておらず、信者も少なく、日常茶飯事に誰それが参詣することもない。ましてや玄奘など、知っているのは中国、日本人位で、インド人の仏教徒でもその事績は余りしらないだろう。だからここには壮麗な記念廟が建立されては居ても、崇拝の対象にもならず、無論観光スポットでもなく、やって来るのは中国人、日本人の団体ツアー客位だろう。しかし、自分はこんな場所に玄奘廟があるなどと、全く事前の知識は無かったが、ドライバーはよくぞこんな場所を知っていたものだ。

先刻の竹林精舎の博物館同様、内部は殆どガランドウ。展示する骨董品、貴重品、仏像、遺品などはないのだ。いつの頃の制作か知らないが、正面に玄奘と思われる仏像が祀られているだけだ。取り敢えずお参りし、外に出る。建物の正面に修行僧の像があり、玄奘と書いてある。日中同文、ヒンドウが分からなくても、こういう時は便利だ。日本人なら繁体字簡体字も両方読める。苦労したに違いない。前人未到と言っても良い程の西域旅行。タクラマカンの砂漠にパミール越え。都合17年間の辛苦の冒険譚は、日本人には孫悟空沙悟浄猪八戒西遊記で馴染み深い。

20数年前、西安(嘗ての長安)へ行った時、大慈恩寺を訪問し、大雁塔にも登ったが、1300年経った今でも使用に耐え、参詣者を受け入れていたが、印象的なのはその前の広大な広場で、その中央に又巨大な玄奘の像が立っていたことだ。玄奘は中国仏教史に於いては、雲を突く存在なのかも知れない。20数年経て、又玄奘の像をここナーランダで見ることになった。奇運、奇遇とでも言えようか・・。



次に来たのはナーランダ学院からほど近い場所にある玄奘廟。
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大層立派な霊廟、記念堂だ。
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廟内の玄奘像にお参りする。
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曼荼羅の一種なのか・・
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廟の正面の玄奘像。20数年前、西安大慈恩寺の広大な広場に立っていた玄奘像を思い出す。・・偉大な僧侶だったのだ・・。
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