ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(42)前正覚山の洞窟。

前方に見える岩山が前正覚山か・・。
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それ程高い山ではない。雨が少ないのか、樹木が少ない。
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なだらかな坂道を登って行く。岩盤の多い山だ。
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100m程登ると眼下の平野が見えてきた。
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坂道の途中に僧院のような建物も見える。
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「前正覚山」。それは名前の通り、お釈迦様が悟りを啓く以前の数年間、この山の洞窟に籠もり、一心不乱に修行したが、結局悟りを啓くことは出来ず、ガリガリに痩せ細ろいた幽鬼のような体で里に下りて、スジャータに助けられ、命を永らえた。その事績を記念するスジャータ村のストーバは一昨日、ここブッダガヤに来て最初に訪問して、見て来た。今日、このブッダガヤを去るに当たって、列車に乗車するまでの時間を利用して、ドライバーは、釈迦が数年間を過ごした洞窟へ案内してくれた。

山の麓で車を降り、一人で山を登って行く。霊鷲山とかナーランダでは、何人かの参詣客を見たが、この山道には全く人がいない。流石に、山中のここまでは誰も来ていない。大体、こんな所に、そんな洞窟があることなど、普通のガイドブックには出ていないだろう。そもそも熱心な仏教徒であったとしても「前正覚山」という言葉すら知らないに違いない。

高度差にして100m程、距離にして500ー600m程坂道を登って行くと、白い建物が見えて来た。僧院のようだ。山道はその僧院の中庭を通って、先に続いている。山中の無人の僧院かと思って、通り過ぎようとすると、一人の生臭僧侶がハンモックで寝そべっている。当方が近づくと、むっくり起きて、色々と話しかけて来る。チベットからの亡命僧侶のようだ。「前正覚山」の洞窟を守っているのだ。通り過ぎようとすると奥から若い男が出て来て、拝観料を請求される。30ルピーだから約60円程だ。彼等の生活費になるのだろう。

洞窟は固い花崗岩の岩盤に掘られていて、入口は高さ1.5m程の、背を少しくぐめて中に入るが、真っ暗な洞窟内。1本の蝋燭が奥の方で揺らめいている。目が慣れて来ると、洞窟は案外広く、10-15㎡、6畳から8畳の広さがあった。中央に小さな祭壇があり、仏像が置かれ、そこの蝋燭が揺らめいていたのだ。・・お釈迦様は、この真っ暗な洞窟内で修行していたのか・・。7年間か、何年間か・・。

今から40年程も前、上野博物館でガンダーラ展が開催され、その時、骨だけに痩せ細ろいた青銅製の真っ黒な仏陀像が出品された。伊豆から両親がやってきて、父だけ上野へ案内した。父はじっくりとその仏陀像を眺めていた。自分もここまで極端に骨身を削り落とした仏陀像に驚嘆した。人間の極限だ。人々の救済の為に、お釈迦様はここまで己を捨てたのか・・。今自分はあの時の父親と殆ど同じ年齢になっている。結局、ガンダーラ展は、その極限の仏陀像を見る為だけに行ったのだが、父親の感想を聞くこともなかった。殆ど親孝行もしたことのない自分に取って、上野へ案内したのは、数少ない親孝行の一つではあったが・・。

真っ暗な洞窟の中で、揺らめく蝋燭の灯りに照らされ、殆ど見えるか見えないかの仏像を眺め、そんな40年も前の父親と一緒に行って眺めた骨身の釈迦像を思い出していた。



古びた寺院か、宿舎のようだ。
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日陰で、ハンモックで寛いでいる人がいる。聞いたらチベットの僧侶で、ここはチベットの寺院とのこと。
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ああ、この岩山。ここに釈迦が修行した洞窟があるのだ。
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洞窟の中は真っ暗で、蝋燭の炎のみが揺らめいていた。
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お釈迦様はこの真っ暗な洞穴の中で、何年間修行したのだろう・・。あれ程に痩せ衰えるとは・・。
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