ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(43)前正覚山を下りて、ブッダガヤ駅に向う途中の民家で。

お釈迦様が修行した前正覚山の洞窟前のテラスから、北インド、ビハールの平原が広がっている。
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洞窟の内外に30分程いて、山を下りる。
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色々な仏跡を訪ねたが、ここも又思い出に残る地となった。
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もう再び来ることはないだろう・・。
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ブッダガヤ駅への途中、ドライバーの自宅に立ち寄った。
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ここも又殆ど無人の前正覚山。ブッダガヤ、ラージギルで幾つかの仏跡を回ったが、大菩提寺(マハーボデイー)、霊鷲山(Griddhakuta)以外の場所では、殆ど参詣者を見ることはなかった。こうした場所へ個人で来ることは余りないのだろう。団参、ツアーを組んでの参詣団としてやって来るのだが、それでもこの「前正覚山」までやってくる団参は少ないに違いない。霊鷲山には駕籠舁きもいたが、ここにはそんなヘルパーは誰もいない。年配者がこの坂道を自力で登って来るのは、大変だろう。

洞窟の前のテラスから眺める北インドの平原。どこか既視感があるのは、何かの写真か絵画で見た記憶があるからか・・。2500年前、釈迦はこの高台から、今見ているのと同じ風景を眺め、山を下りた。過酷な修行では正覚は得られないと悟り、目の先の平原を流れる尼連禅河(ニランジャナ川)の畔まで辿り着き、スジャータに助けられた。ここで体力を回復し、川を渡った先の大きな菩提樹の根元で、正覚、悟りを啓いたのだ。今、そこには巨大な仏塔が建っていて、世界中の仏教徒の聖地となっている。

少し汗ばむような陽光の下、坂道を下り降りると、ドライバーは窓を開け広げた車の中で気持ち良さそうに転寝をしている。起こすのが気の毒に思ったが、当方の気配を察したのか、むっくり起きて車から出て来る。長い間の植民地時代の意識が沈殿しているのか、誰が主人で誰がサーバントかは、自然の動作の中で遺伝子として組み込まれているようだ。いや、それは近時のイギリス時代からではなく、もっと昔のカーストの時代から受け継がれてきた、この国の民族の習俗かも知れない。

再びスジャータ村を通り過ぎ、ブッダガヤの郊外にあるドライバーの自宅に立ち寄る。何の為に自宅へ立ち寄ったのか不明だが、ひょっとしてお昼を饗応する為だったかも知れない。それとも日本人が珍しいので、家族へ見せる為に連れて来たのか・・。外のベランダの椅子で大分待たされ、その間、子供達が家の中から出て来て、挨拶したり、写真を撮ったり。当方、手渡すべき手土産の持ち合わせもなく、ただ挨拶を交わすだけだったが・・。突然の訪問で、多分奥さんとの折り合いが付かなかったのだろう。部屋の中に招じられることも、昼飯の饗応もなく、20分程そこで時間を費やし、ブッダガヤ駅に向った。



日本人が珍しいのか、家族が家の中から出て来て、一緒に写真を撮った。
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子供はどこの国の子でも可愛い。
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大きくなって、どんな少女になるだろう・・。

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ドライバーの自宅で暫らく休憩し、ブッダガヤの駅に向った。
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さて、これから今日は地獄の夜行に乗って、コルカタカルカッタ)へ向かうのだ。
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