ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(46)コルカタ中央広場(モイダン公園)。

賑やかな通りを歩き、街の中心部へ向かう。
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歩道の上では屋台の床屋など出ていて、今ひげ剃りなどをしている。
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ここはセントラルマーケット。建物の中には多くの小売店が入居している。
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中心部にはイギリス植民地時代の重厚なビルなども目に付く。
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交差点を渡った先の大きな公園に出る。ここはフーグリー河を守る要塞の跡だ。(現在はインド軍が使用している。)
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カルカッタコルカタ)は街が大きいというだけで、観光都市では無いし、遺跡、遺物、名勝、国宝等の見るべき観光施設は殆どない。目立つものと言ったら英国植民地時代の建物とか、華麗に装飾された宗教施設がある位だ。それ等も殆どがフーグリー河東岸の旧市街地に集まっていて、少し頑張れば、殆どが徒歩圏内にある。マザーテレサの施設を出た後、どことはなく市の中心部に向かって歩いて行く。

この街の歴史は浅く、イギリスがこの地にインド植民地の拠点、東インド会社を設置した17世紀の末頃から町は始まる。それまでは小さな漁村の一つに過ぎなかったが、イギリスが資本投下を進めて行く内に、みるみる今日のような大都会に発展し、現在の人口は約500万人、インド第3の大都市に発展した。一時は、ここに首都も置かれていたが、それは丁度豪州に於いて、シドニー→キャンベラに首都が移る以前のメルボルンの位置付けに似ていた。

メルボルン市内には当時の植民地時代の数々の英国風建物やビクトリア風やアールデコ調のビルが残されているが、このカルカッタにも同様の英国風建物が幾つかある。街の中心部に向かって歩いて行くと、大きな公園に面した賑やかな交差点、ここがその昔の最大の繁華街で、少し先にフーグリー河も流れていて、恰も上海のバンド、金融街の趣もあるが、幾つかそうした重厚なビルが通りに並び、東インド会社華やかし頃の隆盛を思わせるものがあった。

大きな交差点の信号が変わるのを待ち構えていたかのように、ワッと人の群れが歩き出し、大きな流れを作って行くが、渡った先はそれぞれの道路に入り込んで行ってしまって、人の流れはどこかに消えてしまったかのごときだ。その前方の一つに大きな公園があり、それは恰もこの街のハイドパーク、ニューヨークで言えばセントラルパークのような大きな公園で、一つの大きな自然の森のような緑に覆われている。疲れもあり、静かな木陰で一休みしたい、との気持ちもあって、その公園に向かった。

地図で見ると、ここはモイダンという名前の大きな公園で、旧市街の半分程を占めているような大きな自然公園で、色々な競技施設なども整っていて、ジョギングする人の姿なども見える。この公園で特徴的なのは「ヤギの放牧」、いや、牛ではないので、「放羊」か、あちこちで公園の草を啄むヤギの群がいて、又、20頭30頭のヤギを従えて、道路を横断したり、公園内を移動しているヤギの群れもあった。全くここは公園と言うよりか、どこかの放牧場のような感じだった。公園の隅には、古びた市内電車なども置かれていて、子供の良い遊び場にはなっているようだが、実際、遊んでいる子供の姿は見えなかった。子供も労働力。この国では、子供とは言え遊んでいる時間もないのかも知れない。



モイダン公園。大きな公園で、あちこちにヤギの群がいた。
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何の為に人々が集まっているのか・・。ここに住んでいるのか・・
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壊れた路面電車なども置かれていて、人々の休憩所になっている。
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凄いヤギの群が今道路を横断していく。
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これは牛の群れか・・。実に牧歌的な公園だ。
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