ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(52)デリー到着。

飛び立った直後のラクノウ郊外。戸建ての住宅が並んでいる。
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団地やアパートなども見える。ラクノウは豊かそうな地方都市だ。
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あれは何だろう・・。下水場か浄水場??
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薄い雲の下、インドの大地が広がる。
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が、デリーまでの途中は、殆どが厚雲の下。
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ラクノウからデリーまでの飛行はほんの1時間足らず。乗ってしまえば僅かな距離だ。それでも機は安定飛行に移ると、スチュワーデス、今ではエアーホステス又はエアーアテンダントと呼ばれているようだが、客室乗務員が忙しそうに立ち働き、クッキーとジュースを配って回る。Jet AirはLCCかと思っていたが、ここインドではそうでもないようだ。ちょっとした気配りだが、何も出ないよりは有難い。

少し寛ぐと間も無くアナウンスがあり、これから着陸態勢に入るとのこと。窓の外を眺めるが、変わり映えしないインド高原が広がっている。この辺りまでデカン高原と言うかどうかは知らないが、全体に乾燥気味の大地が広がる。デリーに近づくと、それでも郊外風の住宅地が広がって来て、今まで見て来た各都市とそれ程変わらないが、どことなく貧しさが感じられるのは、自身の先入観がなせる技か。

既に3回もこの空港を利用していると凡その勝手が分かり、タラップから降り、地面を歩いて空港ビルに入り、案内板に従って、デリー市内を結ぶ高速鉄道の駅に向う。日本のメーカーが作った最新式の郊外型電車。インド人はどう思っているか知らないが、日本人に取っては誇りだ。この空港もラクノウもコルカタも、皆新品の空港ビルだが、これ等の全部か、或いは幾つかは日本の企業の手によるものだろう。去年には(この旅行の翌年の事)、安倍総理とモデイ総理が日本の援助により新幹線がこのインドの地に建設される協定も結ばれた。割安の中国を差し置き、割高であっても技術力の勝る日本方式を採用したのだ。

ガラガラの空港アクセス電車に乗ってデリー駅まで行く。この空港からベナレス空港まで飛び立ち、その後は国内電車でブッダガヤーコルカタと回遊し、1週間ぶりにデリーに戻って来た。最初にこの電車に乗ってデリー駅まで出た時は、丁度ドルガの祭りの混乱状態で、予約していたホテルに辿り着けなかったが、その時からはもう10日も経っている。今は懐かしい思い出にもなっている。電車はガラガラだったが、デリー駅は相変わらずの雑踏状態。が、今回は誰に聞くことも無く、荷物を預けてあるホテルに駅からは歩いて帰った。



1時間足らずにデリーの上空へ。
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デリーの郊外が見えて来た。地方都市ラクノウの方がむしろ豊かそうだ。
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約1時間、無事にデリー空港に到着した。
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空港はもう既に見慣れたものになっている。
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日本のメーカーが製造した空港アクセス電車に乗って、デリーのホテルに戻る。1週間ぶりだ。
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