ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(54)日本製の地下鉄に乗って。

これからデリーの地下鉄に乗って見よう。
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このデリー市内の地下鉄路線図は東京でも見慣れたものだ。地下鉄は日本製かも知れない。デリーでは現在6路線が運行されているようだ。
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ああ、間違いない。JICAのマークがインドMETROと一緒に並んで掲げられている。国際事業団の仕事だ。・・しかしなぜ、もっと日本をPRしないのか・・。
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うーん、電車も東京の地下鉄と変わらない。違っているのは、乗客だけだ。
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地下鉄は郊外に出ると地上を走り、頃合いの駅で降りて、駅前の公園へ行く。
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コンノート広場(Connaught Place)の横にある地下鉄はどうみても日本製だ。大体がこの路線図にしても、東京で見慣れた掲示板で、外国仕様ではない。いずれにしても路線図を見ると、このデリー市内には6車線が建設されている。このように網の目に巡らされていれば、市内の凡その場所は地下鉄で行くことができるだろう。

日本の援助により、インド人の通勤通学の便が計られ、渋滞緩和にも役立っている筈だが、果たしてどれ程のインド人がこの地下鉄網が日本の援助により建設されたことを知り、その結果、日本人に対する感謝の気持ちが芽生えているのか? 当方がこの路線図を眺めたり、改札口に向かっている際にも、そうした日本人に対する感情は感じられなかった。尤も、当方が日本人とは見られずに、中国人か韓国人と見られているのだったら、やむを得ないことであるが・・。

矢張りこの地下鉄は日本の援助により建設されたものだ。どこへ行くとも無く、路線の一番先の駅のチケットを購入したが、その自動券売機も東京で見る機械と変わらず、又、出て来たチケットも磁気式のカードキップで、今のJRや地下鉄で使用されているのと変わらず、バンコクやその他の都市で見られるドイツ方式のトークンではないのだ。日本の地下鉄網、運行システムが世界に広がりつつある。時間は先行するが、この3か月後、トルコを旅行した。機会が無くてイスタンブールの地下鉄に乗車することが出来なかったが、確かかの街の地下鉄も日本製の筈だ。

キップを買って、改札口まで歩いて行く途中、遠慮がちな小さな表示に気が付いた。そこにはインド・デリーのMetroの表示の横に「Jica」と記されている。紛れもないJICA,Japan International Coorperation Agency.日本国海外協力事業団だ。しかし、何でこんな遠慮がちな表示しかしていないのだろう・・。バンコクの地下鉄には、堂々と日の丸のマークを付けて、「この地下鉄は日本国政府の援助により建設された。」と表示してあるのに・・。

日本人ならJicaと聞いて多くの人は即座に理解できるが、こんなどこの何かも分からないJicaの表示だけで、いか程のインド人が日本人と結び付け、日本国、人に対する感謝の念が湧くだろうか・・。ドイツの私企業のようにビジネス商売で鉄道、地下鉄を建設するならいざ知らず、日本の税金で作られたものなら、もっと大々的に日本をアピールすべきだが・・。お金だけ払って現地人からは無視される。戦後70年経っても、相変わらず日本が都合の良いお財布代わりに見られているとしたら、残念だ。


そんな風に考え、地下鉄に乗って終点まで行くが、電車の中は東京の地下鉄と全く変わらない。暫らく地下を走り、陸上に出て、地上を走るのは東京の地下鉄、私鉄と同じだ。市街地中心部からかなり走ったころ合いの駅で下車することにした。東京の郊外型住宅地と似ている。商店や住宅が混在している感じだ。人の住むところ、どこも同じような街並みを形成するのかも知れない。

駅を降りた直ぐの場所に大きな公園があり、中に入って見る。公園内には殆ど人がいないが、どうも墓地公園になっているようだ。皆、それぞれ立派な墓石が並んでいる。こうして亡くなってからも子供達や親族から大事にされ、後々までも祀られる。カーストの中の上流種族に違いない。 公園を出て、駅前にマックの店があったので、一休みしてコーヒーを飲み、又元の市街地に戻ることにした。



ああ、ここは墓地公園になっているのか・・。立派なお墓が並んでいる。
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街中は雑多で、前方に人だかりがしている。・・なんだろう・・。
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ああ、車同士の事故で、人が言い争っているのだ。インド人は暇なのかなあ・・。
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建築現場も前近代的なようだが、プレハブのようでもあるし・・。
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ああ、街を歩く娘さん。大きくなったら、どんなインド美人になるだろう・・
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