ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(1)成田前泊。

明日の成都行き飛行機が朝便の為、成田に前泊することにした。
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空港出発ロビーでは、日本の野菜なども売られている。
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空港ビル内で夕食を取る。
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ホテルは3人部屋で、広々していた。
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アメニティも3500円の部屋とは思えない程だ。
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江戸時代の中頃、博多湾の入口を門戸のように囲う志賀島で「漢委奴國王印」の金印が発見され、当時の江戸時代の学者の間では少なからぬ話題になった。それは「後漢書」の中の記述内容、「倭奴国からの使節朝貢し、金印を与えた」、との記載事実を裏付けるものだった。

その後、後漢は衰退し、呉魏蜀の三国志の時代となり、覇権を得た魏の国は国書「魏志倭人伝」の中に「邪馬臺国」の記録を残した。その中に記載されている「邪馬臺国」はどこに所在していたか、との所在地比定は金印が発見された江戸時代以降学者間の研究の対象となり、その論議は現在にまで続いている。「邪馬台国」はどこにあったのか?「京都説」と「九州説」とががっぷり4つに組み、両者あい譲らず、喧々諤々の論争は松本清張黒岩重吾等の推理小説家なども巻き込み、今に引き継いでいる。

昨年89歳で亡くなった歴史学者古田武彦氏は独自の研究から「邪馬臺国」ではなく「邪馬壹国」が正しい解釈であると主張し、今から30数年程前の昭和57年、「邪馬一国への道標」を出版され、「魏志倭人伝」に記載されている「邪馬壹国」は博多湾を中にして、志賀島から丁度反対側の半島、前原辺りであると比定した。今年その「邪馬一国」が復刻出版され、読む機会があったが、その魏書の作成された三国志の時代にロマンが掻き立てられたのだった。

丁度そんな時、新聞広告でJTBが「成都の休日3日間」と題する格安旅行を案内していて、そうか、四川の成都三国時代の「蜀」の王都があった場所だ。丁度良い機会だから行ってみよう、と即座に参加することにした。ここの処、円安傾向やら株式市場の不調などで、外国旅行が間遠になっていたが、そろそろどこかに出かけないと、ブログ旅行記の種も尽きてしまう。そこで会社勤務時代以来の旧知の吉さんを誘って、早速出かけることにした。吉さんとは一昨年、他の友人4人で沖縄へ行って以来の同行だ。

3月10日当日の出発便中華航空は朝8時50分発。成田空港での集合は2時間前の6時50分。一番電車に乗って行けば、ギリギリ間に合わないこともないが、遅延等もあり、前日9日は空港近くのホテルに泊まることにした。ネットを検索すると幾つかホテルのHPが出ていて、その中で成田ビューホテルを選んだ。ツインの部屋で7000円。一人当たり3500円で、この中には税金からサービス料その他全てが含まれている。このホテルは遥か昔の会社員時代、研修で何回か泊まったことがあったが、そういえば、一昨年の沖縄旅行の時も、確かこのホテルで前泊した。

吉さんとは5時に有楽町で待ち合わせ、空港バスに乗って1時間、第2空港ビルに到着する。空港ビル内で食事をとり、目の前のセブンイレブンでビールを買って、送迎バスにてビューホテルへ。トリプルの部屋を二人で使うのだから、広々していて気持ち良い。持参のウイスキー小瓶なども飲み、それ程遅くならない時間に寝ることにした。



成田ビューホテル正面からは発着に合わせ送迎バスが出ている。
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集合時間は6時50分だが、早い時間でチェックインカウンターもまだ開いていない。
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第2空港ビル、南ウイング。朝から発着便数は多いが・・。
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肝心の通関が7時半にならないと中に入れないので、時間を持て余す。
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コンビニにサンドイッチを買って、屋上に出て飛行機を眺める。
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