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日々の連続

成都の3日間(24)武候祠にて。

「眀良千古」の門を入ると正面に本廟が見える。
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ああ、これは皇帝の廟の前にある龍の彫り物だ。規模は大きいが、北京の紫禁城にもあった。
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この奥の像は劉備玄徳か・・。
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ああ、劉備像に違いない・・
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うーん、黄色、金色の衣服、劉備像に間違いないだろう。
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武候祠とは3世紀の蜀の英雄劉備玄徳の遺徳を祀る霊廟で、この中には劉備墓所もある。この廟が何時頃からこのような壮大な規模になったのかは知らないが、劉備が呉との戦いの最中白帝城で病没した際、遺体は王城のある成都に運ばれ、現在のこの場所に陵墓が造営された。しかし、その後間も無くして蜀は魏の曹操に敗れ、国は滅んでしまのだが、彼の陵墓は現在も尚同じ場所、ここに存在している。丁度武田信玄が信長攻めの際に三河で病没し、その死は伏せられて密かに山梨まで運ばれ、恵林寺に埋葬されたが、後日、恵林寺は信長軍により焼き討ちにあったが、墓は暴かれることはなかった。劉備の陵墓も同じようなことだったのかも知れない。

かなり広い境内、最初に「明良千古」の門を潜る。よく見るとこの「明」の文字は左の偏が「日」ではなく「目」となっている。日本語にはこのような文字はなく、果たして中国語にもあるのかどうかは知らないが、多分造語だろう。「千年にわたって良く見える、見通す」意味なのだろう。丁度今上野の都美術館で若冲展が開かれているが、その若冲が生前言ってた「千載具眼の徒を俟つ」と同じような意味合いかも知れない。いずれにせよ、「眀良千古」の「眀」の文字に驚かされ、祠堂に向かう。

正面に聖堂があり、更に又その正面に劉備の漆喰像が安置されている。本来この武候祠は、中国各地にある武候祠同様、諸葛孔明を祀る霊廟ではあるが、ここ成都に関しては、正殿の正面には劉備玄徳像が安置されている。唐招提寺の鑑真像もそうだが、乾漆造りの像は生前の外貌をほぼ忠実に留めていると思われる。ふくよかで威厳があり、武将というよいか、王侯貴族の顔だちである。実際彼は漢王朝を引き継ぎ、皇帝を僭称していた。蜀漢の言いである。正面の座像はそんな歴史を感じさせるものがあった。



立派なものだ・・。
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左は誰だろう・・。息子の2世皇帝、劉禅か・・
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うーん、これは諸葛孔明かも知れない・・。
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これは武将のようだが・・、関羽張飛??
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全く解説もなく、誰が誰だが全く分からない・・
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