ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(29)劉備のお墓、恵陵へ。

武候祠の中の祠堂は大体見終え、これから最後の劉備のお墓に向かう。
イメージ 1



ああ、ボケのような花も咲いている。
イメージ 2



お墓の途中には孔明園がある。諸葛孔明を祀ってある祠堂だが、時間が無くて立ち寄ることもできない。
イメージ 3



ここは又別の庭苑だ。中国風の良さそうな苑だが・・
イメージ 4



苑の入り口付近で写真を撮って、直ぐに引き返す。
イメージ 5




武候祠に於ける祠堂は大体見終わり、最後に劉備のお墓、昭烈陵に向かう。この武候祠は相当に広い敷地で、そこへ行くまでの間、尚幾つかの庭園や四阿などがある。これ等を全部丁寧に見て行ったら、それこそ1日掛かりになるが、我々のツアーはこの場所では1時間半。しかも隣にあるテーマパーク「錦里」を含めてのものだ。だから、駆け足ではないにしても、ゆっくり立ち止まって解説文を読んだりする時間もない。目についた景色、扁額、立像などをパチパチ写真に撮ってハイ終わり、と言ったせわしなさである。

ツアー客の中でも熱心な人はツアーコンダクターの黄さんの後を付いて、いろいろ質問したり、話を聞いたりしているが、我々吉さんとの二人は、それ程の関心もなく、行きはぐれない様にグループについて行くのが精一杯。途中に中国風の小奇麗な庭園などもあり、個人的には入り込んでみたい気もしたが、黄さんがそのまま素通りして行くので、当方も入り口付近でパチパチ何枚かの写真を撮っては、そのまま後を付いて行ったような次第である。

不思議なのは、蜀が魏によって滅亡され、国自体が亡くなった筈なのに、その初代皇帝劉備の墓が現在にまで残されているということだ。劉備は呉の孫権との戦いの最中、白帝城に於いて病没したが、諸葛孔明等の家臣は、亡骸をこの地、成都まで運び、成都の人々はその後1700年に亘って、墓を守り続けたという。同じ頃の奈良の箸墓は、今は宮内庁所管になっているが、長い間古墳として捨て置かれていたのとは大きな違いだ。さて、これから劉備のお墓、恵陵を見ることにしよう。



さて、段々劉備の墓苑に近づいてきた。前を歩くのは我々のツァーグループ。
イメージ 6




漸く墓苑に到着。千秋凛然と書いてある。
イメージ 7




「千秋凛然」。意味は良く分からないが、1000年を超えて、凛然としている。背筋がピンと伸びるような感覚だ。
イメージ 8




ああ、劉備玄徳の墓は「恵陵」と呼ばれているんだ・・
イメージ 9




蜀漢昭烈皇帝の跡、と書かれている。昭烈皇帝、即ち劉備玄徳のことだ。
イメージ 10