ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(33)錦里を走り麻婆豆腐店へ。

「錦里」は僅か10分の駆け足観光。
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ここは昨日回った寛窄小路よりも賑やかなようだ。隣に武候祠があるからか・・
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途中には武候祠に通じる池などもある。
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清朝時代の建物など良く保存されている。
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内部は如何にも中国風で、琴などの演奏もされている。
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添乗員の黄さんの説明では、成都の市の木はイチョウとのこと。東京都と同じ銀杏だ。今日までの二日間、マイクロバスで市内をあちこち回ったが、街路樹で銀杏を見たことはなかった。その点を黄さんに指摘すると、街路樹は無いが、公園とか大学構内などには沢山植えてある、との事だった。東京と同じ市の樹木。どこの何が共通だったのか不明だが、すこしだけ親しさを感じた。これだけ日本語の上手い黄さん、成都生まれで北京の大学を出たそうだが、日本にはまだ来たことは無く、従って東京の神宮前の銀杏の街路樹とか、勿論、八王子の街路樹など見たことはなかった。中国原産のイチョウも今では日本の木として、世界中に広まっている。

駆け足でチベット人街を歩き、再び又駆け足で錦里を歩くが、又々その黄さんの説明では、成都の別名は「錦里」というらしい。昔からこの土地は養蚕が盛んで、絹を生産していたという。その絹織物から錦を作り、そうした名前が付けられたとのこと。「四川錦」、・・どこかで聞いたような聞かなかったような名前だが。この国、蜀は昔から栄えていたに違いない。そういえば、蚕や織物にしても中国から伝来している。そうした技術はいまでも中国に残されていて、北京緞子とか天津緞子は今でも高価で人気がある。40数年前の新婚旅行で香港へ行った時、お土産にシルクのナイトガウンを買ってきたが、冬は暖かく、40年経った今でも重宝している。絹糸絹布は何年経っても綻びない。

「錦里」、良い名前だ。この通りは昨日歩いた寛窄巷子よりももっと賑やかで、店も華やかだ。こちらの方が格が上のようだが、如何せん時間がない。混雑した観光客を掻き分けるように先に進み、一応、一番奥と思われる所まで行って、同じ小路を引き返す。

昨日の寛窄も今日の錦里も清の時代の康熙帝の頃、この賑やかな街並みが整備されたとのことである。先刻回ったチベット人街にあるように、その康熙帝の頃が中国の国力が最大に伸びて、体外的拡張が図られた。所謂周辺国の侵略である。ラサまでの約1000キロ、清朝軍は版図を拡大し、ここ成都がその前線基地になって、多くの兵士が送られたとのことである。そうした塞外の兵士の娯楽の為にこのような当時の歓楽街が整備されたとのことであった。300年経った今、この通りは兵士に代わり、国の内外からの観光客で溢れかえっていた。中国もいつの間にか富める国になっていた。



「三顧園」、店名には三国志から取られた名前などもある。
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須知。歩行の決まり、禁止事項等が書いてある。昔と違って、路面に唾を吐く人はいないし、咥えタバコ、歩行中の禁煙は徹底している。小路には、ゴミも落ちていない。
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「錦里」、四川省に限らず、中国各地から観光客がやって来るのだろう。賑やかな小路だった。
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急いで往復し、漸く時間通りに集合場所に戻って来た。
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さて、これから四川名物、マーボー豆腐の陳婆さんの店に向かう。
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