ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(36)人民広場の毛沢東。

アーバスで何回か人民広場の前を通過したが、広場中央には毛沢東の像が立っていた。
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人民広場へは約2キロ位の幅広の道路を真っ直ぐ進む。
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途中、幅広の歩道では、こんな格好の客引きもいた。
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いや待てよ、ストリートパフォーマンスかも知れないが・・。
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急ぎ足で15分、人民広場へやってきた。歩行者は殆どいない。
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中国では多くの都市で街の中央に人民広場や人民公園がある。中国は共産党一党独裁ではあるが、基本的と言うか、体外的には人民の国であり、人民が国の主人公であるから、街の真ん中に人民の為の広場があるのは当然なのだ。上海には市の中心部に大きな人民広場と公園があって、そこはいつも大勢の人で賑わっている。成都にも街の中心部に人民広場があり、そしてそこには巨大な毛沢東のコンクリート像が立っている。昨日から今日に掛け、人民広場の前をツアーバスで何回か通り過ぎたが、その都度この巨大な像を目にした。上海の人民広場にはこのような毛沢東像は無かったように思う。或いは自分が気が付かなかっただけかも知れないが・・。

毛沢東がいつの頃からか再評価されるようになったのかは、自分には分からない。しかし中国通いをするようになってからの10数年、微妙な風の変化を感じないこともない。彼が死んでから40年、一時はスターリンのように滅茶苦茶に排斥はされなかったものの、評価は地に堕ち、見向きもされない期間が長らく続いた。それは彼の最晩年に発生した紅衛兵問題、4人組問題等の反動として、毛沢東離れが起き、又それと同時に中国の経済発展、赤い資本主義の進展で、彼の存在自体が忘れ去られたような感じになった。いつの間にか、中国が共産国家だとは思えなくなっていた。がしかし、最近ではその潮目がやや変わりつつあるのを、旅行中に肌に感ずることもあった。


「川劇」が終わるまでの約2時間、少し距離があるが人民広場へ行くことにした。この街で人々は毛沢東をどう評価しているかを見て見たかった。去年四川省に隣接する、現在中国での最大人口都市重慶特別市長の薄熙来が失脚し、贈収賄で裁判に掛けられ有罪となった。どういう風の吹き回しか、この薄熙来が失脚前に毛を再評価している、とのニュース報道もあった。紅衛兵時代、習近平が地方に追放され、その後復活し、現在の党主席に納まっているとの因縁の中でそうした動きがあったのかも知れない。いずれにしても隣接する成都市の人民広場に巨大な毛沢東像が立っている。それだけでも一見の価値はあった。

両側8車線の幅広の幹線道を歩くこと約15分、前方に広場が見えてきて、その中央奥に巨大な像が立っている。右手を高々と空に上げて、人民の歓迎に答えている。嘗てはこの手に赤い本、毛語録を握っていたと思ったが、今の像は手ぶらだ。今時、毛語録など読む国民はいないに違いない。が、しかしどこから見ても堂々とした立像で、国民からの栄誉を一身に受けているという誇らかし気な像だ。毛沢東の崇拝、偶像化。この像は明らかに過去の偉大な毛主席の復活、復権を狙う意図が見えていた。

現在の四川省成都市の市民は毛沢東に対し、どう思っているのだろう。それ程遅い夜の時間ではないが、このかなり広い人民公園は、夜の散歩をする人影もなく、水銀灯かLed照明の白っぽい光が路面を冷たく照らしているだけだった。この毛沢東像も周囲を色取り取りの花壇で取り囲まれてはいるが、わざわざこの像の直前までやってきて、下から見上げるような人は、我々二人以外にはいなかった。近くから写真を撮って、我々も急いで集合場所の川劇会館の前の広場へ戻ることにした。



ああ、あった! 広場の一番奥の中央に毛沢東像が立っている。
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綺麗な花壇に取り囲まれているが、参詣する人は誰もいない・・。
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人民広場も夜はまだ更けていないのに散歩する人は殆どいない。
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明るいネオンだけが広場を照らしていて、聞こえるのは車の音だけだ。
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うーん、ここは今は人民広場になっているが、嘗ての蜀の王宮跡だったのか・・。
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