この山に咲く山野草のカラーパネル。花の名前は何回聞いても覚えられない。
石老山を特徴付けているのは、野草よりも巨岩、巨石。600万年以上前に形成された岩石が、地表に浮き上がっている。
参道の両側に大岩がごろごろしている。
お寺の参道だけあって、それぞれの大岩には名前が付けられ、仏教的な謂れも解説されている。
天狗の滝か??
白蓮さんもこの寺に参詣し、これ等の巨岩に圧倒されたに違いない。
参道に咲く野草。
高尾山の麓に建つ精神病院と同じように、ここ石老山の麓にも同じような病院が建っている。人里離れた場所に建っているそれなりの理由、事情があるのだろう。その相模湖病院の駐車場を過ぎると、顕鏡寺の参道ながら、本格的な山道になる。
石老山は残念ながら田中澄江の花の百名山には選ばれていないが、里山の特徴も備え四季折々の草花を楽しむこともできる。その参道の入り口には、この山で見られる山野草のカラー写真が30種類程のパネルになって掲示されている。知っている名前の花もあるが、多くは殆ど知らない名前の花だ。何回見てもとても覚えきれないもので、直ぐに忘れてしまう。花も、花の名前も自分にとってははかないものに違いない。
その百花に比べ、この山を特徴付けるのは、巨岩、巨石だ。石老山という山の名前は、これ等巨岩から由来している。百花のカラーパネルの横には、この山の巨岩の来歴が遠慮深げに記載されている。その解説によれば、これ等巨岩は600万年以上前に3000mを超える深い海底で形成され、造山運動で地表に姿を現し、現在の光景になった、とのことである。
日本列島が出来る遥か遥か以前のずっと昔に深い海の底でできた岩石。巨岩の間を歩いているだけで、深いスピリットを感ずる。どんな造山運動で、3000mもの深い地底から浮かび上がってきたのか・・。それを更に押し上げて700mもの山を形作っている。・・だが8000mを超えるエベレストにしても、造山運動で地底の底から押し上げられたのだ・・。700万年と言う時間を縮めれば、この山は凄いダナミックな動きをしてきたのだろう・・
自宅の庭の雪ノ下は既に2か月以上も前に花を終わらせているが、この山の雪の下は今が満開だ。参道の両側に、白い可憐な花を咲かせている。巨岩の下の薄暗い斜面にポッと色白の花の群落が見えると、恰もそれが残雪のように見えなくもない。里はもう夏だと言うのに、この巨岩に覆われたうす暗い参道はまだひんやりとした空気に覆われ、夏は2月も後からやってくる。病院の駐車場を登り始めてから約20分、前方に顕鏡寺の鐘撞堂が見えてきた。この石段を登り切れば、もう寺だ。
石老山は残念ながら田中澄江の花の百名山には選ばれていないが、里山の特徴も備え四季折々の草花を楽しむこともできる。その参道の入り口には、この山で見られる山野草のカラー写真が30種類程のパネルになって掲示されている。知っている名前の花もあるが、多くは殆ど知らない名前の花だ。何回見てもとても覚えきれないもので、直ぐに忘れてしまう。花も、花の名前も自分にとってははかないものに違いない。
その百花に比べ、この山を特徴付けるのは、巨岩、巨石だ。石老山という山の名前は、これ等巨岩から由来している。百花のカラーパネルの横には、この山の巨岩の来歴が遠慮深げに記載されている。その解説によれば、これ等巨岩は600万年以上前に3000mを超える深い海底で形成され、造山運動で地表に姿を現し、現在の光景になった、とのことである。
日本列島が出来る遥か遥か以前のずっと昔に深い海の底でできた岩石。巨岩の間を歩いているだけで、深いスピリットを感ずる。どんな造山運動で、3000mもの深い地底から浮かび上がってきたのか・・。それを更に押し上げて700mもの山を形作っている。・・だが8000mを超えるエベレストにしても、造山運動で地底の底から押し上げられたのだ・・。700万年と言う時間を縮めれば、この山は凄いダナミックな動きをしてきたのだろう・・
自宅の庭の雪ノ下は既に2か月以上も前に花を終わらせているが、この山の雪の下は今が満開だ。参道の両側に、白い可憐な花を咲かせている。巨岩の下の薄暗い斜面にポッと色白の花の群落が見えると、恰もそれが残雪のように見えなくもない。里はもう夏だと言うのに、この巨岩に覆われたうす暗い参道はまだひんやりとした空気に覆われ、夏は2月も後からやってくる。病院の駐車場を登り始めてから約20分、前方に顕鏡寺の鐘撞堂が見えてきた。この石段を登り切れば、もう寺だ。
林の中のあちこちに、巨岩が横たわっている。
いやー、大岩に圧倒される!
暗闇の中で雪ノ下が可憐に咲いている。
前方の木陰の中に、寺の境内が見えてきた。
最後の大岩。
力試岩と文殊岩。
草に蒸れたこうした解説文を読みながら、ゆっくり登るのも又良い。