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日々の連続

顕鏡寺の白蓮さんと石老山(5)石老山顕鏡寺。

巨岩の立ち並ぶ参道を登って15分、お寺の最後の石段にやってきた。
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この石段を登り切った上に、寺の鐘撞堂が立っている。
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右側に本堂に向かう山門が立っている。
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その山門の横には、寺の縁起が書かれた説明文がある。寺は千数百年前、貞観時代の創建と書いてある。
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鐘楼の横には巨大な杉が立っている。
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石老山顕鏡寺。古いお寺である。真言宗の古刹で観音菩薩をご本尊とする霊場だ。相模野の三ヶ木(みかげ)盆地を眼下に見下ろす見晴らしの良い高台に立っている。寺の縁起を読むと、今から1000年以上前の建立となっているから、相模の中でも古いお寺に違いない。同じ相模にある大山寺からは良弁聖人が出ていて、東大寺の大仏を建立しているが、ここ顕鏡寺はそれに次ぐ位古く、当然ながら鎌倉時代に建立された建長寺鎌倉五山などよりは、遥かに古い創建である。

30段程の石段を上ると正面に鐘撞堂が見える。今は車道が出来ていて、迂回して車で参内できるが、車の無い時代にはこの山道を登って来る他なく、先の巨岩の間を抜けて漸くこの石段を登り、寺に来るしかなかった。盆暮れ春秋のお彼岸や法事の際に、里の人々はその度ごとにこの山道を登り、寺までやってきた。漸くこの石段の真上に鐘楼を見た時は、誰しもほっとしたに違いない。

石段を上がって、更にもう一段高い場所に鐘撞堂があり、この鐘は年ごとの大晦日に108回撞かれ、多分その模様はいつかのNHKの「往く年来る年」に放映されたであろうが、その鐘楼の右手に小さな冠木門があり、多分それは山門を成しているのだろうが、その門を入った先に顕鏡寺本堂がある。本堂は比較的新しく、戦後のいつか再築されたであろうが、平安時代の最初の草庵から数えて何世代目に当たるだろうか・・。

高台に立つ本堂からは眼下の集落とその先の丹沢の山々が遥かに見渡せた。寺の縁起によれば、平安時代の初め頃の貞観年間、源海上人がここに草堂を結んだという。実に眺めの良い、風光明媚な場所に庵を結んだものである。白蓮さんも生前きっとこの場所から今のこの光景を眺めていたに違いない。



説明文を読むと、樹齢推定400年の「鉈木杉」と言うらしい。
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鉈木杉の奥、左手上に鐘楼、その下に阿弥陀堂が見える。
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山門を入ると顕鏡寺の本堂だ。高野山真言宗の寺だ。
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本堂の前の見晴らし台からは眼下に広々とした展望が開けている。
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相模野、三ヶ木(みかげ)の集落と、左、高尾山系だ。白蓮さんもきっとこの場所からこの光景を眺めたに違いない。
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