ちゃおチャオブログ

日々の連続

行き違いのタイ旅行(5)トムヤムクンの昼食後、古都観光へ。

途中タマサート大学のあるランシットまでは高速道が開通している。
イメージ 1



右手には以前の国際空港、ドンムアンが見える。
イメージ 2




1時間半ほどで古都アユタヤに到着。
イメージ 3




車を降りた直ぐの場所にレストランがあり、一緒の車でやってきたシンガポーリアンの家族も入っていた。
イメージ 4




店の飾り。どこで買ってきたのか、日本の招き猫が飾ってある。
イメージ 5





バンコクーアユタヤ間は距離にすれば100キロ程離れている。昔、と言っても日本の江戸時代の初め頃だが、平和な時代になって仕事にあぶれた侍などが、仕事先を求めて国外にも出て行くようになり、そんな中の一人に駿河の沼津出身の山田長政がいた。彼は当時のシャム(暹羅・สยาม)に渡り、ラーマ王に仕え、No.3の高官にまで出世した。その当時のシャム、現在のタイだが、の王都はアユタヤにあり、現在の首都バンコクはオリーブ樹林などが茂る寒村に過ぎなかった。当時の人々は、目の前を流れる大河、メナム川(チャオプラヤー・แม่น้ำเจ้าพระยา)を船で遡って、当時の首都アユタヤに向かった。 日本の御朱印船もこの100キロ程の川を上って、やって来た。アユタヤは河口港になっていて、その港近くには日本人村も出来ていた。

今はバンコクから性能の良いトヨタのマイクロハイエースで、途中高速道路などもあったりして、2時間も掛からずに行くことができる。時速100キロ位でバンバン走って行くが、これも又乗り合いピックアップで、途中途中にストップして、何人かの乗客が乗り降りする。大きな街に入って来て、運転手より、ここがアユタヤだ、と言われて降ろされる。このマイクロは終点がアユタヤかと思っていたら、まだ先の街まで行くようだ。我々4人以外にも何人か下車したが、後で気が付いたのだが、どうもシンガポールからの家族旅行者のようだった。

車を降りると早速雲助のようなガイドが近づいてきて、アユタヤの案内を持ちかけて来る。時計を見るともう12時を回っている。チャトチャック公園を横切ったりして、ここまで来るのに予想以上に時間がかかったようだ。雲助が相変わらずついて回ってきているが、車を降りた直ぐ目の前にレストランがあり、中に入ると、一緒の車でやってきたシンガポーリアンの家族も来ている。メニューを選べ、皆でトムヤムクン(ต้มยำกุ้ง)を食べることにする。タイの代表的な料理で、初心者の二人にとっても良いだろう。

トムヤムクンの材料が無かったのか、出来上がるまで随分待たされ、お昼が終わったのはもう2時近くになっていたが、早速、アユタヤ歴史保存地区へ行くことにした。アユタヤは嘗ての首都だけあって、大きなお寺の遺跡が幾つもある。その内の代表的な古寺「ワットプラシー」(วัดพระศรี)へ行くことにした。お寺の廃墟だ。寺はビルマ兵により破壊され、仏像の頭部は持ち去られている。そんなビルマとの戦いに山田長政傭兵隊長として戦っていたに違いない。正につわもの共の夢の跡だ。 



漸く出てきたトムヤムクン(ต้มยำกุ้ง)。いやー、30分は待たされた。
イメージ 7



さて、いよいよ古都アユタヤの観光だ。正面は現在も使用されているお寺ワットプラシー(วัดพระศรี)。
イメージ 6



その直ぐ横にある以前の廃寺。
イメージ 8



ビルマとの幾多の戦いで、攻めたり、攻められたりし、今は廃墟となった。
イメージ 9



仏塔、チェデイ(เจดีย์)が空高く聳えている。
イメージ 10