フアランポン駅構内の食堂には小さな猫がいて、足元にじゃれついてきた。シャム猫か。

帰国便は今晩の深夜便だ。今日は丸々1日観光に当てられる。フアランポン駅(สถานีรถไฟหัวลำโพง)での朝食を食べにほんの1時間位の予定で列車に乗ったが、駅へ到着前の車両の入れ替作業で思わぬ時間が取られ、朝食もそこそこに急いでホテルに戻ることにした。又再び列車に乗ってラムカムヘン駅まで戻れば良いのだが、タイの列車は信用できない。時間道りに出発しないし、出たとしても、またすぐ途中のどこかで臨時停車がある。走り出せば15分位で行ける距離だが、その倍の時間を見込んでも行けるかどうかだ。
結局列車は止めにして、駅前の地下鉄に乗って、ペッブリー(ถนนเพชรบุรี)まで出て、そこでマッカサン(มักกะสัน)でエアポートリンクまで乗り換えてホテルに戻ったが、何やかやで2時間近くかかってしまった。3人を大分待たせてしまったが、昨日のことを想えばお相子だろう。ホテルに戻り、一旦チェックアウトし、王宮寺院等の最後の観光に出る。チェックアウトの際はデポジットで預けておいた1000バーツは、一昨日の部屋飲みで冷蔵庫を空っぽにし、それを超える金額を請求されたが、請求明細書を子細に調べ、何やかやイチャモンを付けて最終的にはオーバー分をチャラにしたが、それにしても1泊部屋代よりも高い金額についてしまった。それもこれもバンコク在住の移住者からの変な要望を安易に受けた自分のせいではあったが・・。
さて今朝は先ずタクシーでチャオプラヤー川(แม่น้ำเจ้าพระยา)へ出て、サパーンタクシン(สะพานตากสิน)の橋の袂まで行く。ここからフェリーに乗ってチャオプアラヤーを遡り、先ずはバンコク一番の観光場所「王宮寺院」(วัดพระแก้ว・ワット・プラケオ)=「エメラルド寺院」へ行くのだ。
このフェリーに乗るのも久し振りだ。しかしいつ来ても水量は豊富で川は滔々と流れている。山紫水明の日本の川の「滔々」とこの川の「滔々」は文字にすれば同じだが、内容も意味合いも殆ど違う。この川の水量は圧倒的であり、重量があり、流れも速く、そう、下関赤間の早鞆とか、徳島鳴門の渦潮海峡を思わせる。殆ど水の枯れたラオスのメコンと比べ、この川は、矢張りメナムだ。以前はこの川を「メナム川」(แม่น้ำ)と呼んでいたが、何時の頃からか「チャオプラヤー川」と呼ぶようになった。それは丁度「揚子江」が今では「長江」と呼ばれるようになり、「揚子江」の名称はほんの上海近辺の下流域に限られるようになったことと同じような現象か・・。いや待てよ、隅田川だって昔の江戸時代には「大川」と呼ばれ、「大川端リバーシテイ」は、現在にその名残を残しているのだ・・
三島由紀夫がその小説「暁の寺」を書くに際し、この寺に何回来たのか・・。フェリーの左手には、スッくと立ち上がった「暁の寺」、即ち「ワットアルン」(วัดอรุณ)が見える。自分もこの寺には何回か来た。そしていつかは明け方近く、太陽が昇る前からこの寺院にやってきて、そう、先ほどの運河から見たプラトナムの金色のドーム屋根が旭に輝く姿も見た。しかし考えてみれば、この寺から日昇を眺めるのではなく、バンコクの市内から、この寺が朝日に輝く様を見るのが、本来の意味であったのだが・・。そんなこんなで川の両岸を眺め、暁の寺を見、フェリーは間も無く「ターチャーン」(ท่าช้าง)へ到着した。
結局列車は止めにして、駅前の地下鉄に乗って、ペッブリー(ถนนเพชรบุรี)まで出て、そこでマッカサン(มักกะสัน)でエアポートリンクまで乗り換えてホテルに戻ったが、何やかやで2時間近くかかってしまった。3人を大分待たせてしまったが、昨日のことを想えばお相子だろう。ホテルに戻り、一旦チェックアウトし、王宮寺院等の最後の観光に出る。チェックアウトの際はデポジットで預けておいた1000バーツは、一昨日の部屋飲みで冷蔵庫を空っぽにし、それを超える金額を請求されたが、請求明細書を子細に調べ、何やかやイチャモンを付けて最終的にはオーバー分をチャラにしたが、それにしても1泊部屋代よりも高い金額についてしまった。それもこれもバンコク在住の移住者からの変な要望を安易に受けた自分のせいではあったが・・。
さて今朝は先ずタクシーでチャオプラヤー川(แม่น้ำเจ้าพระยา)へ出て、サパーンタクシン(สะพานตากสิน)の橋の袂まで行く。ここからフェリーに乗ってチャオプアラヤーを遡り、先ずはバンコク一番の観光場所「王宮寺院」(วัดพระแก้ว・ワット・プラケオ)=「エメラルド寺院」へ行くのだ。
このフェリーに乗るのも久し振りだ。しかしいつ来ても水量は豊富で川は滔々と流れている。山紫水明の日本の川の「滔々」とこの川の「滔々」は文字にすれば同じだが、内容も意味合いも殆ど違う。この川の水量は圧倒的であり、重量があり、流れも速く、そう、下関赤間の早鞆とか、徳島鳴門の渦潮海峡を思わせる。殆ど水の枯れたラオスのメコンと比べ、この川は、矢張りメナムだ。以前はこの川を「メナム川」(แม่น้ำ)と呼んでいたが、何時の頃からか「チャオプラヤー川」と呼ぶようになった。それは丁度「揚子江」が今では「長江」と呼ばれるようになり、「揚子江」の名称はほんの上海近辺の下流域に限られるようになったことと同じような現象か・・。いや待てよ、隅田川だって昔の江戸時代には「大川」と呼ばれ、「大川端リバーシテイ」は、現在にその名残を残しているのだ・・
三島由紀夫がその小説「暁の寺」を書くに際し、この寺に何回来たのか・・。フェリーの左手には、スッくと立ち上がった「暁の寺」、即ち「ワットアルン」(วัดอรุณ)が見える。自分もこの寺には何回か来た。そしていつかは明け方近く、太陽が昇る前からこの寺院にやってきて、そう、先ほどの運河から見たプラトナムの金色のドーム屋根が旭に輝く姿も見た。しかし考えてみれば、この寺から日昇を眺めるのではなく、バンコクの市内から、この寺が朝日に輝く様を見るのが、本来の意味であったのだが・・。そんなこんなで川の両岸を眺め、暁の寺を見、フェリーは間も無く「ターチャーン」(ท่าช้าง)へ到着した。
ああ、対岸左手には寺院が見えてきた。・・ワットラカンの辺りか・・

この辺りのお寺はどの辺だろう・・

ワットアルン(??????????????)、暁の寺が見える。

今何か工事中だが、金箔の張替えでもしているのか・・

観光客は外人が圧倒的に多いが、タイ人観光客も増えてきている。
