ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(10)ビクトリアピークからの眺め。

ビクトリアピークは、広大な観光地と化していた。一瞬、どこへ来たのかと迷ってしまった。
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しかしここは間違いなく「The Peak」なのだ。
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広場中央付近には「The Peak Galleria・山頂廣場」の表示もあって、間違いなくここが山頂だ。
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しかし周辺の山並みを見ると、ここよりも高そうだが・・
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50年前、果たしてどこの山頂に登ったのか・・。狐に包まれた感じだ。
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バスでやって来たビクトリアピークが40年前、50年前とは大違いで、様変わりしている様相に一瞬度肝を抜かれ、全く別天地へ来たのかとさえ思ったが、どうやらこの賑やかなテーマパーク様相の場所が山頂で間違いなさそうだ。沢山の人がテラスから下界を眺めていたり、それに何よりもこのパークの真ん中付近に「The Peak Galleria・山頂廣場」との表示板が出ていて、この賑やかな場所が確かに山頂なのだ。ここから更に山道を分け入って、草生した山頂まで行って、50年前のノスタルジアに浸ることが出来るのかと思ったら、どうもそうではなく、ここがこの山の最終地点だった。

テラスから下界を眺め、周辺の山並みを眺め、嘗ての記憶では、この山頂が周辺では一番高い筈だったが、今見ると周りの山の山頂はこの場所よりも高い感じがし、矢張り50年前に来た時は別の山頂だったのか・・と想像もしたが、兎も角皆がここが山頂だとして楽しんでいる。当方も他の中国人にお願いし、写真を撮ってもらった。明日は国慶節、ここに集まっている観光客の殆どは中国人で、稀に白人系。この中に日本人や韓国人が混ざっていたとしても、日本語韓国語を聞かない限り区別はつかない。

2つ向かい合って建っている4-5階建てのビルの内、奥まったより高そうな方のビルを選び、屋上テラスに向かう。うーんこの光景、眼下のこの海峡と高層ビル。この光景だけは40-50年前と変わらない。昭和16年12月、帝国日本は米英仏蘭に宣戦布告した直後にシンガポール、香港を攻略し、殆ど瞬時に苦も無くこの島を占領した。そしてこの山頂に旭日旗が翩翻とはためいた。占領下の英国人はどう思っただろうか・・。更にその下層に中国人や苦力(クーリー)が下積されていたが、今はこの廣場は中国人の天下だ。白人などの姿は殆ど見かけない。

二十歳の大学生の目には、この香港の繁栄が焼き付いている。今はどうか知らないが、香港製品は「Made In Hongkong」と呼んで、壊れ物の代名詞として多くの日本人は蔑んでいた。しかしそうしたニセモノ国家がこれ程の繁栄をする筈はない、とその時の若者の目には映った。それから半世紀、今古希を迎えた老人の目にも、今のこの香港の繁栄は、当時と同じような感動を持って目に焼き付いた。



ビルの屋上テラスから眼下の海峡を眺める。
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この海峡と高層ビル。間違いない、ここは香港だ。
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50年前に感じ、今もそうだが、・・しかし凄い繁栄だ。
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再びこの光景を眼窩に焼き付けて置こう。
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再びの記念写真。
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