ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(25)丘の上の教会と参道の天ぷら店。

カラー舗装されたセナドの通りから人々は狭い路地を丘の方に登って行く。
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この先に何があるのだろう・・、と自分も付いていく。
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丘の上にあったのは教会だ。カトリック信仰の強いポルトガル人。教会があちこちにあっても不思議はない。
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教会から流れ出る聖水?
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教会の中はがらんとしていて、殆ど祈る人はいなかった。
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マカオ歴史保存地区の中央広場、ここはセナド広場と思われるが、そのど真ん中には、100%中国風の張子の虎で作った城門が飾られている。南京の南大門を模したものか何なのか、今日が国慶節とは言え、余りにも中国寄り過ぎやしまいませんか? この張りぼては? 今このマカオ特別区に何人のピュアなポルトガル人が残っているかどうかは自分は知らない。が、マカオ政庁にはもう殆どポルトガル人など残留してはいないだろう。郵政事業、切手ですら、既に「中国澳門」となっている。Correios(ポルトガル語の郵便)は既に言葉だけの存在になっているのだ。

中国城門から先もカラータイルで舗装された遊歩道がずっと先、セントポール大聖堂跡へ続いている。人々の流れもそちらの方向に向かっている。が、一部の流れが右手路地の丘の方に向かっている。この狭い路地の先に何かがあるようだ。セントポールは後から見ることにして、先ずはこの丘の上に何があるのか、見て来よう。 

暫らく登って行くと教会があった。当然ながらここではカトリック教会だ。比較的新しい。出来てからまだ100年は経っていないようだ。協会の中に入ってみる。殆ど信者はいない。このマカオの中国人の中に、何人のカソリック信者がいるのか知らないが、いずれにしても少数だろう。ポルトガル人が去って行った今、果たしてこの教会も風前の灯になるだろう。

沢山の人々が坂の上に向かっていたのは、実はこの教会が目的ではなく、1本隣の路地、即ちこの路地が教会への参道になるのだが、大通りから教会までの、凡そ100m程に、10数軒の食い物屋の出店が並んでいる。その店先には串刺しにした野菜とか魚介類、肉などが籠の上に並べられて置かれ、通行人、と言っても殆どが中国人観光客なのだが、籠の上から気に入った串を取り上げ、売り子に渡すと、その場で、「天ぷら」に揚げてくれる!

タイやラオスの東南アジア、否中国本土ですら、串刺しと言ったら、炭火で焼くかバーナーで焼くかの違いはあっても、焼き物だ。焼き鳥だ。だが、ここマカオでは「テンプラ」! 織豊時代ポルトガルから色々な文物が日本にもたらされたが、その内の一つに「テンプラ」があった。「天婦羅」は日本の食文化に定着し、後日徳川家康が古い天ぷら油に当たって食中毒を起こし死んだ、とかまことしやかに伝えられたりもした。その「天ぷら」がここにある!そう、マカオはつい最近までポルトガル領だったのだ・・。あるのは当然だろう。中国人が串刺しの天ぷらを美味しそうに食べている姿を見て、そんな風に思った。



教会の前に立てられた観光案内板。日本語もある。
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人々の流れは、この教会に通じる路地にあったようだ。串刺しの食材が店先に並べられている。
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人々はお好みの串刺しを選び、その場で天ぷらに揚げてもらう。
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再びセナドの通りに戻り、大聖堂に向かう。
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これから大聖堂に向かう路地に入って行く。
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