ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(27)聖母教会(聖ポール天主堂跡・大三巴牌坊)拝礼。

MATER DEI、正面の横の入り口から教会に入る。
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元教会の建っていたファサードの裏側は平面広場(テラス)になっている。
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入り口付近には案内版があって、中国語、ポルトガル語、日本語、英語で案内されている。
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新たに建設されるのか、嘗てここにあった建物なのか、設計図が記されていた。
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聖フランシスコ・ザビエル礼拝堂。この教会のどこかにザビエルの遺骨が納骨されているのだが・・
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このテラスの左右にはこの教会に関係する聖人、聖者が埋葬されている。
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この丘の上に建つ正面ファサードだけを残す遺跡教会は日本名では「聖ポール天主堂跡」と呼ばれている。ポルトガルの教会なのに、なぜイギリス風の名前「セントポール」になっているのか、自分にはその理由は分からない。ファサード正面に彫られている教会名は「MATER DEI」であり、右手の入り口から中に入ると案内板があり、そこには英語でも「CHURCH OF MATER DEI」(葡語では、MADORE DE DEUS)とあり、「神デウスの母」、即ち「聖母教会」のことでである。19世紀、ポルトガルの国力が落ち、一時英国の従属国のような形になったが、こうした由緒ある教会も英語風の名前で呼ばれるようになったのか・・

この教会は今から400年程前、江戸時代の初め頃に建設されたのだが、その際、家光により長崎を追放された日本人キリシタンも一緒になって建設に携わったとのことである。然しながら、今から200年程前の火災で焼け落ち、現在の正面のファサードのみを残す哀れな状態になった。それから200年、今案内板を見ると、再建の計画が立てられていて、模型図などが案内されていた。案内板には中国語、葡語、日本語、英語の4か国語で解説されていたが、それは日本からの寄付を期待すると共に、この場所が日本人にとっては忘れがたい宣教師、フランシスコ・ザビエルの遺骨が納骨されていることもあるのだろう。

フランシスコ・ザビエルイエズス会の宣教師として、ポルトガル王国・イザベラ女王より日本へ派遣され、安土城では信長にも謁見し、日本の布教の後、次にインドのゴアへ向かう途上、この地で病没した。当時ここはまだポルトガルの植民地ではなく、マカオとも呼ばれていなかったが、亡骸は丁寧に葬られた。後日この地が葡領となり、この教会MATER DEIが建立され、遺骨もここへ改葬されたのだが・・。教会の中の中国人案内人にその場所を尋ねてみたが、言葉の問題もあって、探し当てることはできなかった。

MATER DEI。フランス洋菓子マドレーヌの語源ともなっている聖母マリア。皮肉なことにその参道には干し肉(ジャーキー)店が数多軒を並べている。缶詰が出来る前の船乗りにとっては貴重な蛋白源で、同じ海洋族が住む台湾にも伝わったが、日本の食文化にはならなかった。日本は元々動物の肉を食べる習慣もなく、干ダラや干物、貝柱等の乾物、等々、魚介類の保存食は多々あった。マカオやルソンへ追放されたキリシタンもこうした干し肉を食したのだろうか・・。



案内人にザビエルの埋葬場所を聞いてみたが、言葉が通じなかった。それともザビエル自体を知らなかったのか・・・。
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平面広場の奥には墳墓遺跡があり、地下に降りてみる。
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一部が展示室になっていて、教会に関係する遺物が展示されていた。
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これはもしや、ザビエルを模したものか・・
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案内文を見ると、この辺りにザビエル礼拝堂があったようだ。
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ファサードを裏側から見たところ。この平面広場に暫く佇み教会を後にした。
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