ちゃおチャオブログ

日々の連続

湯河原の1日(6)湯河原町歩き。千歳川に沿って。

湯河原の町は、箱根大観山の麓から相模灘に向かって流れ降りる清流沿いに発展してきた。
イメージ 1



国道の途中にはこんなコーナー「美人の湯」などの施設も作ってあった。
イメージ 2



五所神社から上の宮上地区は、いわゆる温泉地区だ。丘の上には「石亭」も見える。
イメージ 3




千歳川の清流。伊藤屋別館「清風荘」はこの川の左手河岸上にある。
イメージ 4




箱根の山からじかに流れ落ちる渓流は澄んでいる。
イメージ 5



湯河原は東京の奥座敷、数多の旅館ホテルが立ち並んでいる。
イメージ 6





湯河原は縦に細長い町である。箱根山嶺の麓から相模湾の海岸に向かって、町はほぼ一直線に下り落ちている。その山嶺の麓付近に奥湯河原があり、海外線の付け根辺りに真鶴半島がある。箱根山嶺大観山から発する渓流は奥湯河原辺りで藤木川と言う清流になり、町のほぼ中程にある五所神社辺りで千歳川の名前に変わり、海に注がれる。従って湯河原はこの渓流、清流沿いに発展してきたともいえる。

バス停の名前にもある通り、神社の前の停留所は「宮前」、町の地名は山側を「宮上」、海側を「宮下」と呼んでいるが、当方、これから千歳川に沿って山の方向、宮上のずっと先にある奥湯河原に向かって歩くことにした。神社を出て直ぐの所に湯河原小学校があり、多分この小学校は旧国鉄が小田原から熱海まで延長された当時(芥川龍之介の「軽便鉄道」で有名)のそれ以前よりこの場所に設立されていて、即ち、尋常小学校のある付近が明治期の村落の中心で、この小学校に隣接した少し小高い場所に旧町役場のような木造建物も残っていた。

この小学校から直ぐ先に源泉が流れ出ているコーナーがあり、そこには「美人の湯・肌がきれいに」との案内板が出ていて、源泉に触れるとかなり温度は高い。案内によれば60度。今の時代は温泉場の客層は主婦やOLに変わりつつあり、ここも「美人湯」と銘打ってはいるが、明治の時代には、ここ湯河原は日ロ戦争で傷付いた傷痍軍人の湯治場でもあった。東郷平八郎元帥もここに逗留していた。大分別府の鉄輪温泉が蒙古軍と戦った鎌倉御家人の湯治場、関東のこの地は帝政露西亜と戦った帝国軍人の湯治場だったのだ。

それから更に上っていくと右手に古風な旅館伊藤屋、藤田屋が並んで建っていて、その伊藤屋別館「光風荘」は2.26事件の際、逗留していた牧野伸顕公(吉田茂の岳父)が氾濫兵士に襲われた場所でもあり、道路の反対側、千歳川の河岸上にあった。これからその千歳川に沿って、上流に向かって歩いて行くことにした。



光風荘はこの泉の湯の裏の方だと思うが、案内もなく、良く分からない。
イメージ 7



以前の温泉場では輪投げ鉄砲ストリップなどの娯楽場が多かったが、今は健全になって、タイのマッサージ屋などが出店してきている。
イメージ 8



千歳川の清流。
イメージ 9



この川には手長エビなども生息している!
イメージ 10



ネズミ男の別荘、「何とか経済研究所」はこの山の左手の山端にある。クソ、忌々しい。
イメージ 11



「清流を 集めて速し 鮠の川」。千歳川にはハヤ道も作られていた。
イメージ 12