ちゃおチャオブログ

日々の連続

湯河原の1日(10)奥湯河原「秋の山」。

不動滝の周辺には、温泉原潜の小屋があり、湯気が噴き出ている。
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この辺りまで来ると藤木川も渓流になる。バスを待つのももどかしく、奥湯河原へは歩いて行くことにした。
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山が迫ってくる。少し色づんできている。
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途中、市街地を抜ける旧道とバイパス道が合流する。右手が、今まで歩いてきた市街地の道路。
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霧雨混じりだが、一幅の名画になりそうな光景だ。
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湯河原市街地と奥湯河原のほぼ中間辺りに「不動滝」はあるが、ここは既に周囲を山に囲まれた山間部の趣ではあるが、名の知れた観光スポットだけあって、バス停も置いてあった。しかし、奥湯河原へ向かうバスの本数は少なく、ここで20分も待たされる位なら、と国道を歩いて向かうことにした。少し霧雨模様で、天気は優れないが、山間の空気を吸って歩く気持ち良さもあった。

この辺りは湯河原温泉の源泉取り入れ口なのか、国道と並行して流れる藤木川の川岸には、もうもうと蒸気を噴き上げる小さな小屋が幾つか並んでいて、如何にも山奥の温泉場の風情である。漱石がこの辺りを歩いた明治の頃も、今と同じように源泉掘っ立て小屋から蒸気を噴き上げていたのだろうか・・。いや、それはないだろう。ボーリングが発達したのは近年になってからだ。しかしこの蒸気小屋はなかったとしても、秋の山の景観は今とは変わらないはずだ。この箱根に抜ける国道が当時はなかったとしても、杣道位はあっただろう。

秋の景観は何年経っても変わらない。広葉樹が黄ばみ、赤くなり、枯れていく。関東から南、落葉広葉樹林帯は日本の原風景だ。所謂、雑木林の山。人は照葉文化圏と言うかも知れない。そこには小動物が生息し、食用の天然果実やキノコ類。奈良平安の時代から慣れ親しんできた里山とのつながりは、近年の急速に進んだ近代化の波に置いて行かれ、今や、やや色を増している山並みだけが、霧雨の中に煙っている。これはこれで良い光景で、竹内栖風の日本画梅原龍三郎の洋画の題材にもなりそうだ。名人の手になる一幅の「秋の山」が目の前にあった。

不動滝から歩いて20-30分、大手会社の保養所や個人宅なども見えてきて、奥湯河原に着いたようだ。100数十軒ほどの個人宅や保養所、旅館ホテルなどが固まっている一角に今晩の宿、青巒荘が見えてきた。



山は更に深くなる。ここからは見えないが、森の向こうに城山があるはずだ。
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鬱蒼とした原生林の森である。
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奥湯河原に近づくと、又紅葉が見えてきた。
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不動滝から歩いて20分、漸く奥湯河原にやってきた。
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今晩の宿泊先、青巒荘が見えてきた。
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