ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(55)中山市・珠江デルタ地帯を通過。

これからバスは中山市の珠江デルタ地帯を通過する。
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周辺は広大な湿地帯になっている。
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養魚場があちこちに見える。
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大河のような運河だ。川かも知れないが・・
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大きな運河を次々に通り抜ける。日本ではトンネルだが、こちらでは運河だ。
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珠海市の郊外に広がる風光明媚な海浜地帯を通過すると、道路は内陸部を走る様になり、海岸の外れに接する地方の小都市から道路は高架の高速道になる。ここ辺りから先は湿地帯で、道路を平地に作っていたら、洪水等で直ぐにも水没するのかも知れない。それに運河をまたぐ橋を次から次に渡ることになり、橋脚自体が平地よりも相当に高く作られているので、その橋と橋を結ぶ道路も橋の高さに合わせて高く設計されているのだ。

一般道路でもかなりスピード感はあったが、高速道に入ってからのバスは、ボンボン飛ばすと言った感じで、窓の外の景色がどんどん後方に流れていく。中国の場合、国全体なのか、省単位での規制なのかは分からないが、少なくともここ広東省の高速道路では、スピード制限の標識はなく、運転手の危険判断で自由なスピードで走行できるようだ。それ程上等とは思えない長距離バスだが、まあ、今まで事故は無かっただろうから、運転手の技量に任せるしかないのだが。

バスは平地や運河よりも一段高い場所を走行するので、見晴らしは良い。次から次に大小さまざまな運河を横切る。この辺は珠江のデルタ地帯だ。珠江の河口にある港町だから珠海。川も町も珠のような良い名前だ。この大河のずっと先の方には、川下りで有名な桂林の漓江がある。これも又瑠璃のような良い名前だ。

川は浅く、水面の底までよく見える。底の浅い遊覧船に地元の子供たちが裸で寄って来て、コインをせがむ。5元、10元のコインを船べりに投げ落とすと、子供たちは競争で潜って、そのコインを拾い上げ、右手に持って、高々と空に上げ、更にまた追加のコインを要望する。いつかモームがそのアジア旅行記で描いたマレーシア、あれはペナンの海だったか、小説の中と同じような情景が漓江の浅瀬で繰り広げられた。それは川沿いに次々出現する奇妙な形をした山塊、山容などよりももっと面白い見ものだった。

あれはもう何十年も前のことだ。当時はまだ高速道もなく、桂林の街から大きな桂花、即ち金木犀の並木町が続く道路を砂埃を巻き上げて、漓江まで行った。チワン族なのだろう、大きな団扇を持って、バスから降りるのを待ち構えて売りに来た。そんな大きな団扇、誰も買う人はいなかったのだが・・。毎日こうして観光客をまっているのだろう。

バスの中から大河のような運河を幾つも眺め、そんな昔のことなども思い出した。今、ここは中山市。即ち、孫文、又の名、孫中山が生まれた町だ。彼はこんな運河に四方八方を取り囲まれた町で生まれたのか・・。それで広州の黄埔軍官学校に入ったのか・・。たまたま珠海から広州への緒距離バスに乗り、孫文の故郷を通り抜けようとは、望外の余禄だった。



全く大規模な灌漑で、農業、漁業も大規模に行われている。
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遥か先の海の方までは見えない程広大なデルタだ。
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ああ、こんな大きな運搬船も航行している。全く揚州の大運河と変わらない。
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途中に陸地も見える。ここは中山市、どの辺りが孫文の生家だろう・・
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又、暫く運河が続く。
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通り抜けるのに約30分、これが最後の大運河のようだ。
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