ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(56)広州到着。

デルタ地帯の最期の運河を渡ると、広州市郊外の住宅地が見えてきた。
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大きなマンションがいくつも並んでいる。
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市内の川を渡る。珠江の支流か・。
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前方に広州中心部の超高層ビルが見えてきた。
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いよいよ市内に入る。
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珠江デルタ地帯の最期の大きな運河を渡りきると、もうそこは広州郊外だ。広州は広東省省都で、大きな都市だ。従って郊外も広大なもので、ここからはまだ市の中心部は見えない。広東省の人口は約8000万人、省都の広州はその約1割ほどの人口を擁している。名前の通りに、広くて大きな省都だ。

デルタ地帯だから小山も起伏もなく、ずっと先の方まで見通せる。彼方に漸く一つの超高層ビルが見えてきた。広州と言う地名は戦後の日本人にとっては比較的馴染の深い名前である。それは戦後の早い段階で、この町で開催された広州見本市、これは国際的な交易会で、貿易見本市のようなものだが、それが毎年行われて、日本からも多くの企業が参加した。中国が近代化に進む貿易窓口の主要な役割を担っていたのだ。であるから、当時の日本人にとっては、北京、上海、大連、青島に次ぐ位に知名度の高い都市であった。

広州は中国国内に於いてはやや特殊な地位にあって、戦後間もない頃の中共軍の軍閥葉剣英将軍はこの地で強大な権力を掌握し、一時は中央政府からの分離独立も画策したやに聞いているが、北京から遠く離れたこの南方の地に於いて、独立王国を作ろうとしていたようである。広州軍閥、は今では名前だけの記憶としてしか残されていないのだが、そうした新進摂取の気概が、いち早く門戸を海外に開こうとした動きに繋がったのかも知れない。

市街地が近づいてきた。本流、珠江を渡ると、もうすぐ目の前が広州就寝部である。川べりに超高層ビルが林立している。壮観だ。上海、浦東地区のビル群と繁栄を競うがごときである。こんな地方都市で、これ程の繁栄を見ようとは・・。葉剣英一派が独立を画策した理由も分からないわけではない。

川を渡るとバスは高速道から降りて市内の一般道を走る。この町は、見本市にあるように、外国からの訪問客を多く招くせいなのか、道路が綺麗に飾られている。道路の両端や高架橋の両縁、フリンジには綺麗な花の植え込みがあり、目を和ませる。中国各都市を旅行しているが、道路をこれ程綺麗な花の植樹で飾っている町は嘗て経験していない。素晴らしい行政だ。そうして街を見とれている内に、広州長途バスターミナルに到着した。珠海を出て3時間半程のバスの旅だった。



ああ、珠江とその川べりの中心ビル街だ。
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上海にも引けを取らない、すごいビル群だ。
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内に入ると高架道の縁は綺麗な花で飾られている。
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珠海を出て3時間半、漸く広州バスターミナルに到着した。
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ここは広東省省都だけあって、あちこちに長距離バスが出ている。
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