ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(66)越秀公園、五羊彫像。

流花湖公園から次に向かった越秀公園までは歩いて20-30分の距離だが、途中の街中や人々の写真が修復中のパソコンの中にあって、ブログに載せられないので、このブログは一足飛びに越秀公園に入ることにする。
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公園に入って直ぐの左側、凡そ100段程の階段を上った先の高台に広州の守り神、「五羊神」の像が建っている。
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夕方近くだが、まだ沢山の観光客が集まってきている。
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観光スポットになっているだけあって、巨大な像だ。
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芸術的な美的感覚は自分には分からないが、中国人には好ましく映るのだろう。
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この広州旅行記は、実際に旅行した9月末から10月初めから既に4か月も経っている。当方の旅行は街や景色、人々の写真を撮ることにより、その写真がメモ代わりになり、写真を見ながら情景を思い出し、ブログを綴っているが、困ったことに、撮影した写真はすべてウイルス感染修復中のパソコンの中に保存されていて、昨日から再開したブログに関しては、カメラにノッコっていた幾つかの写真を、新たなパソコンに取り込み、綴っている次第だ。4か月も経つと、記憶も薄れ、情景もあいまいにしか思い出せなくなる。

この時、9月2日の午後は、ホテル近くの流花湖公園へ行き、最後は「ホキの並木」の遊歩道を歩いて、公園を出ることになったのだが、その後、裏通りを歩き、もう一つ先の越秀公園まで行った。途中の街中の状況、人々等々についても、色々と記憶としては残っているが、その情景をブログに書いても、写真を載せることができず、そこの部分は割愛し、一足飛びに本日最後の訪問先、越秀公園へ移動する。ウイルス感染パソコンが戻ってきて、中に途中の写真が残っていれば、後で一挙に掲載することにしよう。

この越秀公園へ来たときは、ほとんど夕方近くになっていたが、それでも尚多くの観光客がやってきていた。この公園は先の流花湖公園よりも更に大きく有名な観光スポットになっていて、より多くの人々がやって来ている。明らかに客層は異なっていて、流花湖はむしろ付近の市内の人々が大半を占めていたが、この公園に来ている人々は、観光目的だ。地元の人よりもよそからやって来ている人々が大半だ。広州の著名な観光場所になっているからだ。

この公園の目玉は幾つかあるが、その中でも最大のスポットは、明代に作られた城塞、城壁の遺跡と、この町の守り神、「五羊神」だ。公園に入って直ぐの左側、凡そ100段程の階段を上った小高い広場にその五羊の彫像が立っていて、沢山の人意図が集まっていて、写真を撮ったり、自身を入れた記念写真を撮っている。当方にとっては、この五羊がどうして広州の守り神になっているのか、当方にはその謂れは分からないが、中国人にとっては、皆が知っている何かの故事があるのだろう。いつ頃作成されたのか、確かに大きな像で、力強い羊で、嘶いている様は、神にも見えてくる。

その羊神が置かれている小高い丘の反対側の高台は、旧城址の城壁になっていて、石造りの城壁は強固で、この街を守るにふさわしい。広州は南方の海から押し寄せてくる外国勢力、アラブや欧州からの異国の侵入に対する最前線の街であり、防波堤の役割を果たしていたに違いない。何の木か、葉をいっぱいに茂らせた大木の根が、城壁に張り付き、根を広げている。夕方の薄暗さに相まって、異様な光景だ。この薄暗い中、まだやってくる観光客もいる。自分はもう一つ、この先の山頂に飾られている孫文の碑まで行かなければならない。暗くなる前に先を急がなくては・・



こうして見ると、確かに広州の守り神に相応しい、勇ましい羊像だ。五匹いるので、五羊彫像と呼ばれている。
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その羊の丘、高台の向かい側には明代の城塞跡がある。
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これはまた見事な石組だ。沖縄で幾つかの石組みの城跡を見ているが、それ等よりも余程かしっかりしている。また、この樹木の根っこは何だ!
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城壁と木の根。これも又壮観だ。
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これは又記憶に残る石垣だ。
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