ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(77)玉器の展示室。

枕の展示室の出口に一コーナーがあって、石枕に刻まれた「枕賦」が紹介されていた。枕の賦! 古代中国人のすごい深化だ!
現代の中国人はこうした物事を忘れ、古代の中国人の意識は現代の日本人に引き継がれている。
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次は玉器の部屋だ。「中山王と南越王」と出ている。そうか、ここは中山と南越のコラボだったのか・・
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玉器は日本の古代遺跡からは殆ど出土されないが、中山王家からは大量に出ているらしい。
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ああ、ジェード、玉器の数々だ。
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金は古代の富の象徴になっている。が、それは今でも変わらない。
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ああ、これも枕? そうか、先刻の部屋は中山王家のもので、これは南越王家のもの?
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枕の展示室の出口の所に最後のコーナーがあって、ガラスケースの中にこれまた立派な枕と、その表面に何か文字が刻まれている。解説文を見ると「枕賦」と書いてある。歌賦、頌賦だ。枕も進化して、芸術品の息を越えて、賦にまで昇華している。中国人の奥行きの深さか・・、日本では枕の口誦なそついぞ聞いたこともない。単に寝具の一つ、日用雑貨に過ぎないのだ。

そもそも中国語は充分理解できないし、英文解説まで読むほどの熱心さはない。京都西川にいるかどうか知らないが、誰か枕の研究者でもいたら、この枕の陳列室は、最高の研究素材になりだろう。芸術品となっている枕を写真に収め、次の部屋に向かうと、ここは「玉器」の展示室になっている。入り口の表示を見ると「中山王と南越王」と出ている。そうか、今、この博物館は、中原の覇国、中山王家・劉と、南越王とのコラボレーションの展示を行っていたのか・・。

珠気は古代の中国人が最も好んだ宝玉で、それは現代人にも引き継がれていて、翡翠アメジスト、先年上野博物館で展示された台湾故宮博物館所蔵の「白菜」などはその代表例だ。この部屋に展示されているのは、薄く円盤状にスライスしたもので、博物館入り口のスチール写真にあった南越王のミラノ表面に数百枚と重ねて嵌められていたものに他ならない。古代の玉器は富の象徴、貨幣に代わるものだった。

日本の古代遺跡からは殆ど出土しない玉器。日本では殆どが勾玉か埴輪、銅鏡銅剣銅矛銅鐸などが大半で、こうした宝玉の出土は聞いていない。飛鳥の高松塚からも出たとは聞いていない。中国の絶対権力者と島国日本の富の違いか・・。何故か日本には玉器を副葬するという風習は持ち込まれなかったようだ。これも又優れた研究者の解説を待つしかないだろう・・。



自分には玉器の価値は分からないが・・
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真ん中に穴が開き、これ等は貨幣としても流通していたのだろう・・。
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装飾品としても使用されていた。今のダイヤのようなものか・・
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ああ、これは埴輪だ。可愛いおじいちゃんかおばあちゃん!
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日本の埴輪は土で作られているが、中国は玉とはすばらしい!
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が、穏やかな表情は中国も日本も変わらない。
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