ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(79)中山王と南越王。

いよいよ最後の展示室になった。中山王と南越王、2千年の相遇とある・・
イメージ 1



何の土器だろう・・。穀物でも保管していたのか・・
イメージ 2



これは又見事な銅器だ。水がめ・・
イメージ 3



ああ、水盤だ。
イメージ 4



いやー、これは見事な模様の水盤だ。
イメージ 5




「簡潔」、という言葉がこの竹簡、木簡から派生しているのかどうかは知らないが、先般出版された村上春樹の「騎士団長殺し」の小説のように、上下巻で1000頁も超えるような大部の書簡をこの竹簡で書いたとすれば、それこそ家一軒分位の広さの膨大な量にしないと、到底書ききれるものではない。従って、古代の書物は「簡にして要」、簡潔な内容でなければならなかった。簡潔、簡易、簡単、トランプのツイッター、簡短少。2000年前の言葉は、現代にも通じているようだ。

そうして竹簡の部屋を出ると、いよいよ最後の部屋、中原「中山王」と広州「南越王」との2000年を超える遭遇、融合、ここ南越王墓から出土された遺物と中山王墓からの出土品が一堂に会している。当時の南越が辺境の地で、中央の中原とは遥かに劣った文明度と思われがちで、この地に住む人々も、そうした地方性、劣等感を持ちがちであるが、今回のこの南越王墓博物館は、それ等の劣等意識を打ち消すに十分な企画だった。広州に生まれ育った広州人の誇りをくすぐるに十分な内容だった。

「食は広州にあり」。この意味するところは、昔から広州人は世界に雄飛し、移住し、その土地土地で中国ソサイエティを広げていった。そこには当然食文化も同時に運ばれて、一時は広州料理が中国料理の代名詞ともなった。現在でも最も広く食されているのが広州料理だろう。日本の裏通りのラーメン屋などでも「広州飯店」などの看板を時々見かけることもある。中国料理の中では日本人には最も口にあっている味覚に違いない。

この最後の部屋の展示物は、食に係わる異物が多い。銅器で出来た壺、この中には何が入っていたのだろう。美味しく出来上がったスープかご飯か・・。水盤。これは大事だ。顔を洗い、手を洗い、それから食の祭典が始まる。周公だったか・・、水盤に顔を映しつぶやいた「日々新たなり」。矢張り、「食は広州にあり」は古来からこの土地で引き継がれてきていたのだろう。



ああ、食器だ。2000年以上前の古来よりスプーンが使用されていた!
イメージ 6



椀、ボール。左は何か・・。砥石なのか・・
イメージ 7



ああ、愛玩物。衣食足り、余裕があったのか・・
イメージ 8



何の用途に使われていたのだろう・・
イメージ 9



日本の埴輪も良いが・・。これは三彩の原型か・・
イメージ 10




最後の信。簡は管に通じ間に通じるのか・・
イメージ 11