ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(86)地下街で昼食後「記念堂」へ。


駅ビルの地下には商店街はなく、駅前広場の端から地下に下りると、どの店をシャッターと下ろし、ゴーストタウンのようだった。
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地下鉄乗り換え出口付近まで行くと、漸く2-3軒の食堂があった。
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内1軒に入り、セルフサービスで昼食を食べる。
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地表に出て、地下鉄駅に向かうと、そこにも早食い店があった。
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地下鉄駅付近は相変わらず沢山の人だ。
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中国の場合、大概の都市で駅ビルの地下には商店街はない。駅は単に列車の発着に用いられ、商業施設はない。これは駅を管理する鉄道省か、国の規制で駅舎の商業利用が禁止されているのかも知れない。ただ、街に地下街が無い、という訳ではなく、駅ビルの地下にないだけで、街中には大通りの下とか、ここ広州駅前の大広場の地下などには相応の地下商店街が出来ている。商売熱心な中国人にしては珍しいことだが、その内駅舎の地下も商業利用が解禁され、日本のような賑やかなターミナルビルに変貌するだろう。

そういう事で、この広州駅も地下には何もなく、一旦外に出て、広場の端から地下に下りていく。かなり広い地下商城になっているが、殆どの店がシャッターを下ろしている。日本のシャッター通りを歩いている感じで、人通りもほとんどなく、不気味な感じだ。地上の広場では大勢の人が移動していたが、それからしてもここが商売不振でゴーストになったとは思えない。・・とすると又中国流の大々的な再開発の全段階で、全店立ち退きを迫られたのか・・。幸いに、駅からは反対側の地下鉄駅へ向かう出口付近に食堂が2-3店あり、セルフサービスの1店に入り、昼食とする。

昼食を終え、再び地下鉄に乗るために地表に出ると、その地下鉄出入り口付近にも2-3店の早食い店、早飯店が並んでいた。中国も経済が活発になり、日本人と同じように時間がせわしくなってきて、こうした立ち食い店の需要も増えてきているに違いない。嘗ての大陸的な中国人気質にはそぐわない感じだが、今は世界は一つ、こうしたせわしなさの潮流も容赦なく押し寄せてくるのだろう。

再び地下鉄に乗って「記念堂」へ向かう。そこは「中山記念堂」への最寄り駅だ。広州は孫文孫中山の故郷だ。この町へ来て、中山廟へ寄らない訳にはいかない。南京の中山廟よりは更に壮麗なものであるに違いない。何と言っても国父だ。地下鉄は先刻の越州公園駅を通り過ぎた先の2つ目の駅。新しい車両で、各ドアの付近にはテレビモニターもついている。周辺の地理案内、観光案内等を音声付きで流している。が、日本のようなOn-timeでのニュースや天気予報は流していない。Off-lineのようだ。しかしこれだけ急速に発展してきた中国、いずれほど近い内に騒がしいニュースも流し始めるだろう。静止画面の儒教的な人生訓、精神訓示など眺めながら、そんなことをぼんやり考えた。



今度は又地下鉄で広州駅から二つ先の「記念堂」駅に行くことにした。
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先刻乗車して越州公園駅を通過する。乗客も列を作って乗車する。
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社内の人々もマナーは良い。
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赤ちゃんも可愛い。
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社内にはこんな標語も。「和」。「和をもって貴しとなす」。日本人が忘れかけていた言葉だ。
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「禮」。「人礼ありもって安し、礼なくば即ち危うし」。無礼な中国人が少なくなり、欠礼の日本人が増えつつあるを憂う。
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