ちゃおチャオブログ

日々の連続

湘南ウオーク35キロ(4)葉山御用邸の前を通り、長者ケ崎へ。

逗子海岸の綺麗な浜辺が広がっている。
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波の音すら聞こえない静かな浜辺で、数年前、浜での飲酒の禁止、海の家を無くしたのは、ここかも知れない。
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まだ春先、浜辺で遊ぶ人はすくないが、沖合ではヨットとかウインドサーファーの姿も見える。
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5-6分休憩し、最後にもう一枚記念写真を撮って、逗子の浜辺を後にする。
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浜辺の端には小さな漁港も見える。
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逗子の漁港を通り過ぎれば、次は葉山だ。
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鎌倉材木座の前の浜辺か、今ここに立っている逗子海岸なのか、去年か一昨年、浜辺での飲酒や大ボリュームの音楽などを禁止し、静かな海辺を取り戻すことができたが、その代わりに他所からやって来ていた海水泳客が激減し、地元の観光収入も激減した、とのニュースをいつかの新聞で見た記憶がある。その浜辺が鎌倉なのか逗子なのか思い出せないが、今この浜辺を見渡すと、小屋掛けのヨシズとか、飲食店、海の家、などが全く見えないので、多分その条例を作ったのは、この逗子町に違いない。

静かな浜辺が目の前に広がっている。砂浜にはゴミ一つ落ちてなく、浮遊物の漂着もない。まだ早春、海の季節にはまだ早く、波打ち際で遊ぶ人も少ない。海の上ではウインドサーフィンや小型ヨットが音もなく洋上を滑る。ドローンも数機飛んでいるが、そのエンジン音も聞こえてこない。打ち寄せる波の音すら聞こえない静穏な浜辺。他人の迷惑などお構いなしで騒ぎ立てる太陽族、湘南族がいないというのは、こんなに静かなものか。

海を眺めながら、太陽の搭の前で5-6分休憩し、再び海岸沿いの国道を東に向かう。逗子にも漁港があったとは知らなかったが、浜辺の端に小さな漁港があって、何艘かの漁船が係留されたり、陸揚げされたりしている前を通り過ぎ、逗子に隣接する葉山町に入る。この辺、高額所得の住民が多く、小さな町でも財政は豊かで、隣接する市町村が合併するでもなく、昔の町名を今の21世紀に入っても尚保っている。

葉山町に入ると直ぐに葉山マリーナの前を通り、葉山の市街地を歩いて行く。葉山マリーナは慎太郎や裕次郎が根城にしていた遊び場で、日本を代表するマリーンレジャーの拠点であるが、3年後の東京オリンピックにはヨット競技がここで行われる予定になっている。そのマリーナを右目でチラと眺め、どんどん街中を歩いて行くと、右側に大きな森戸神社の森が見え、更に県立近代美術館の前をとおりすぎると、道路はやや下り気味に下降し、左側からの道路との三叉路に出る。

そこが葉山御用邸前の交差点で、交差点の角には葉山警察署も建っている。右側には長い塀と深い緑が見えるが、そこが御用邸で、塀に沿って100m程歩くと、御用邸正門で、正門前のポリスボックスには、若い品のよさそうな警察官が立証していた。もう随分以前にこの道路は車で通ったと思うが、葉山マリーナにしても御用邸にしても、記憶からはすっぽり抜け落ちていた。

今の陛下も同様だが、特に昭和天皇はこの御用邸を好まれ、海の生物、ヒトデやハゼの研究、その他学術研究にこの御用邸を利用されていた、とのニュース報道を聞くにつけ、陛下のお人柄を想像したものだが、今こうして塀の外からとは言え、昭和天皇が慣れ親しんだお住まいの前を通ることに感激し、今まで歩いて来た10数キロの道のりも、足の疲れも取れる思いだった。心の中で一礼し、ここから更に数キロ、お昼を取るべく長者ケ崎に向かった。



葉山マリーナ、森戸神社、一色海岸を通り過ぎ、太陽の搭から約1時間、漸く御用邸前の交差点に着いた。
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最初に葉山御用邸通用門が見える。
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御用邸の正面入り口だ。陛下やご家族は、この門から入っていく。
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警察詰所も幾つかあった。
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かなり広い敷地で、御用邸は小川を挟んで両側にある。
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心に昭和天皇を想い、先の長者ケ崎に急ぐ。
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