ちゃおチャオブログ

日々の連続

湘南ウオーク35キロ(7)城ケ島大橋通過。

三崎駅前から約1時間、漸く城ケ島へ渡る橋についた。
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時間は既に5時を回っている。太陽が大きく西に傾いている。
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眼下にウナギの寝床のような港が見える。
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三浦漁港。10数年前と変わらない。
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いつギブアップしようか、どこまで付いて行こうか、三崎駅まで行けば、ここから城ケ島行きのバスは出ている筈だ。兎も角駅まで頑張ってみよう、と、皆さんの後をついて駅までやってきた。駅前まで来ると道路標識が出ていて、三崎湊まで5キロ、城ケ島まで6キロと出ている。・・後5キロか・・。今時刻は3時半。駅前のコンビニで少し長めの休憩を取ろ。・・後5キロ。足が動かない訳ではない。後5キロなら何とかしよう。今まで30キロ近くを歩いて来たことを思えば、残り5キロなど僅かな距離だ。大幅に遅れ、後から食堂にたどり着く旨をリーダーの鳥山さんに話し、その了解を得て、最後の頑張りで付いて行くことにした。

一人布川さんは横須賀在住で、この辺の地理には詳しい。先刻葉山御用邸の前を歩いている際にも、この辺で城ケ島までは丁度半分位の距離と教えられ、勇気づけられた。彼は健脚で、以前京都から東京まで中山道を歩いた経験もある。1日40キロ、50キロの歩行も苦にはならない。鹿児島佐田岬から東京まで歩き、今年は更に東京から北海道の宗谷岬を目指している鳥山さん同様に、何キロ歩いても軽やかな足取りだ。羨ましい限りだ。その彼が、この三崎駅から先、大橋まではなだらかな下り坂になる、と教えられ、再び又々元気づけられた。

駅を出て程なく、右手に小網代の森入口の看板が見える。三浦半島の先端部で、汽水湖の湾を囲んで自然の森が残されている、自然遺産の場所だ。三浦駅からこんな近い場所にあったのか・・。今度機会があれば電車で来ても良い。そんな説明を布川さんから受けて、段丘状の三浦市内を歩く。道路は段丘の上にあって、住宅などが下の谷の低い場所に固まっている。窪地の住宅だから台風の被害を受けなくて済むのだろう。左手に三浦警察を見て、道路はそのまま大橋に向かう。一旦市街地
三崎港に下りて、又再び橋まで上り返すことはなく、道路は真っすぐ橋に直進だ。ラッキー!

大橋まではどうにか皆さんに付いてきたが、橋から先、皆さんはどんどん歩行を早め、ついには後ろ姿も見えなくなった。尤も自分が橋の上から今まさに沈みゆく貸与の写真を撮ったり、10数年前、羽鳥先生と車でこの橋を渡ったことなどを思い出しつつ、眼下の港を眺めたりしていたので、余計に間が空いてしまったこともある。あの時は京急久里浜まで電車で来て、駅前でレンタカーを借りて、ここまでやって来たのだが、現役時代を懐かしんだ。あれからもう10年以上は経っている。変わらないのは眼下の三崎港だけだが、以前よりも漁船の数は減っているか・・。

時間は既に5時を回っている。夕日が三浦水道の海に沈みかけている。富士山の方角だ。今は見えないが、晴れた日には、相模湾の先に沈むダイヤモンド富士が見られるかも知れない。橋からの螺旋状の階段を下り降り、城ケ島の街の道路に出た時には、仲間の皆さんは遥か先を歩いていた。



東京湾の方の情景も10数年前と変わらない。
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太陽は相模湾の先、富士山の方角に沈んでいく。
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城ケ島大橋、575mを渡り切った先には、島の娘の銅像が立っていた。ここから螺旋階段で橋を下り降りる。
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城ケ島の街の道路に出るとメンバーは既に先に行っていて後ろ姿も見えない。
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