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日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(100)六榕寺の菩提樹。

境内には六榕搭、本堂、祖師堂以外にも幾つもの堂宇がある。
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祖師、長者の一人か・・
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小さいながらも資料室も備わっていて、書画骨董などが展示されている。
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節穴には何を見ても同じようにしか見えないが・・
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中興の師か先代法主か・・
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弘法堂とあるが、日本の弘法大師はこんな南までは来ていないが・・。とすると、日本からの寄進か・・。
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補榕亭。この木彫は榕樹なのだろう。
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その前に立つ石像。蘇東坡なのか・・
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ガジュマルのことを中国語では榕樹と言う。南国系の樹木で、北限はどこかは知らないが、大体沖縄とか上海辺りだろう。沖縄ではデイゴと並んで街路樹などに多く、この二つの街路樹を見ることによって、ああ、沖縄に来たんだ、と思う観光客も多い。タイでは又バンヤンツリーと呼ばれ、タイ最高級ホテルの名前にもなっている。この大木は元々はインド原産で、インドではベンガル菩提樹とも呼ばれていて、お釈迦様がブッダガヤでこの木の下で悟りを開いたのは有名な話だ。

六榕寺の寺伝によれば、元々この寺は浄慧寺と呼ばれていたが、11世紀、宋代の詩人蘇東坡(蘇軾)がこの寺を訪れ、境内に榕樹が生い茂っているのを見て「六榕」と詠み、その後この寺の名前は「六榕寺」に変更されたとのことである。その寺に今は榕樹の代わりに菩提樹の大木が生い茂っている。

ベンガル菩提樹と中国原産の菩提樹。その違いは当方にはよく分からないが、インド原産の菩提樹には乳頭、枝の途中からぶら下がる瘤が沢山垂れ下がっていて、数日前、マカオの城塞「モンテの砦」の周辺に沢山自生していた大木がそうであり、ブッダガヤの菩提樹にも沢山の乳頭が垂れ下がっていたが、今、ここ六榕寺にある菩提樹には、その乳頭は見られない。

1000年前、蘇東坡が見た榕樹はいつの間にか菩提樹に代わってしまったのか、それとも、この二つの大木を混同して、蘇東坡が間違って認識したのかは、自分には分からない。菩提樹の北限はかなり北の温帯地方まで延びていて、調布の深大寺にも自生していて、ドイツではシューベルが有名な「菩提樹」の曲を作曲している。ドイツ語ではリンデンバウムと呼ばれているが、元々は仏から出た言葉で菩提薩唾の菩提であり、即ち菩薩のことである。

どこでどう変わったのか、或いは変わらなかったのか、11世紀、蘇東坡が詠んだ六本の榕樹は今は菩提樹の大木になって生い茂っている。去年アユタヤの廃寺で、木の根元に絡めとられた仏像を見たが、その大木はガジュマル、即ちインド菩提樹であり榕樹のことだ。深大寺、関東地方で一番古い白鳳時代の金銅仏釈迦椅像の前には大きな菩提樹が自生している。こだわることはない。どちらも同じだ。有難い菩薩の木には違いない。



石像の横にあるこの岩の意味は・・
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ああ、禅寺の庭石と同じ意味合いなのだろうか・・。深山幽谷を表している・・
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中庭には大きな樹木が生い茂っている。
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随分太くて古くて立派な大木だ。
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ああ、これは榕樹ではなく菩提樹なのだ・・。
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これで樹齢は何百年なるだろうか・・
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青々と緑陰を茂らせている。
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ああ、奥の木は榕樹(ガジュマル)か?
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創建して1500年、蘇東坡が来てから1000年、沢山の菩提樹が茂る六榕寺を後にした。
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