ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(109)深圳へ。

広州ー深圳間の駅は東莞市しか知らないが、幾つかの駅があって、通過する。
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どこの駅もモダンで、中国特有の人の多い雑多さは感じられない。
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どこの町も今は綺麗に整備されている。全体に所得が向上しているのだろう。
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トイレの先の車両には、車内販売コーナーもあるようだが、もう間もなく深圳だ。
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高層ビルの数も多くなってきた。そろそろ深圳に近づいて来たか・・
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新幹線での広州から深圳までは大体1時間程度の乗車だから、距離的にも時間的にも日本で言えば丁度東京駅から三島間のこだまに相当する。停車する駅の数も同じくらいだ。僅かな時間と距離だから、お試し乗車には丁度良いし、自分もそんな感覚で3年ぶりに乗ってみた。前の座席に中国人中流家庭の母子連れが座ったりして、楽しい1時間だった。以前大連から瀋陽まで満州鉄道へ乗車したが、その時前に座った中堅会社員風の男性から突然日本語で話しかけられ、少し驚いたが、彼は大連の日本企業で働いていると言っていた。このちょっと中の上クラスの母子の旦那さんも案外日本の会社勤めかも知れないと期待はしたが、日本語は話すことはなかった。

そろそろ深圳に近づく頃、一旦席を立ってトイレに行ったが、そこは日本と違って和式のトイレになっていて、ああ、中国の新幹線はまだ相変わらず国内向けなのだな、と思った。中国人は今でも洋式よりもしゃがむ和式を好んでいるようだ。しかし、後10年、20年もしたら、中国でも日本と同じように、洋式が好まれるようになり、新幹線もその内順次洋式に交換されていくだろう。トイレの先の車両にはキオスク、車内売店コーナーがあるみたいだが、今別に喉が渇いている訳でもなく、もう間もなく深圳に到着する時間でもあり、途中で引き返し、自席に戻った。


深圳も初めてくる町である。50年前、当時大学の2年だったが、友人の片桐君と初めて香港を旅行し、香港市内の九龍駅から広軌鉄道に乗って国境のギリギリ、ここから先が中国になる、というぺんぺん草の生えた駅までやって来て、駅のホームの向こう側にある人家らしきバラックが何棟か立ち並んでいる「中国」を眺めたが、それがその時始めて見た原野の深圳で、確か当時はサンカイというような名前で呼ばれていたと思った。それは多分北京語ではなく、香港・南方語の呼び方だったのだろう。

それから半世紀、深圳は鄧小平その他の押し進める中国解放経済政策の最先端の都市として驚くような発展を遂げ、外資を導入した混合経済の中心地として、今猶発展し続け、拡大している。その後、3回ほど香港に来たが、それはいずれも中国への返還前の英国領の時代で、わざわざ国境駅まで来ることはなかった。当時既に深圳の大開発はニュース等で報じられてはいたが、いちいち国境を越えて入境するという面倒くささも相まった。

さて、そろそろ深圳だ。窓の外を眺め、線路が複雑に入り組んできて、遠方の高層ビルも数が多くなってきた。僅か半世紀、ぺんぺん草の中から一大都市に成長した大深圳を見てみよう。



線路も入り組んできた。遠方には高層ビルも見える。
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列車のスピードも落ちてきた。隣を近郊電車が走っている。
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前方に街の中心部も見えてきた。
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深圳駅到着。この街に初めて足を踏む。
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果たして、どんな街だろう。
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