ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(128)Stanley Bayを散歩してRepulse Bayへ。

赤柱湾は、赤柱半島に囲まれた、波静かな湾だ。
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静かな砂浜のビーチから岩場まで出ると、沢山の観光客が海辺に出ていた。
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赤い大岩の荒磯。赤柱湾の名前の謂れか・・
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記念の写真を1枚撮影。後ろの岬の向こう側がレパルスベイだ。
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別荘地の人気が高いのか、こんな所にも不動産の広告が出ている。
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香港が中国へ返還されて20年、各方面で中国化が進み、先刻のバス停留所の表示や、観光案内板なども植民地時代の英語表記から、中国語に変わっている。しかし昔の香港を知る人にとっては、矢張り、昔風の呼び名の方が馴染み深い。Stanley Bayは中国語では赤柱湾と呼ばれ、Repulse Bayは浅水湾と呼ばれている。元々の名前は英国人の有名な人物名から名づけられたに違いないが、中国読みになってからは、そうした過去の偉人、著名人の名を排除し、その土地の形状、景観から名づけられているようだ。最近日本でも某総理大臣の名前を冠した小学校が設立される動きもあったが、実際、間宮海峡などの地名を聞くと、過去の冒険家の苦難の道のりを思い起こすこともできる。

赤柱という地名が何時ごろから、誰の発案で命名されたのかは知らないが、確かに土地の形状は赤石、大陸によく見られる赤い砂岩の一種だと思うのだが、海にまでせり出す山の中腹のあちこちに赤石の大岩が露出していて、この市場のある所は海に突き出た柱のような細長い半島で、先刻ジョギングしていた白人も、この半島の先端まで行って、引き返してくるのだろう。先っちょ、即ち岬の部分がどうなっているのか興味もあったが、今の自分には脚力も十分ではなく、坂を下り海辺に降りたのだったが。  

                                
Stanley Beachは、本当に人の少ない、隠家のような浜辺だが、その浜辺の横に数件ある民宿の裏道を通り抜けると、Stanley Bayが一望できる岩場に出る。この有磯は、湾を囲むようにして赤岩がごつごつ出ていて、赤柱とは或いはこうした棒状の赤岩を指しているのかと思える程だが、いずれにしても諜報にとってはどちらでもよい事。目の前に赤柱湾が波静かに広がっていた。砂浜から山にかけては高級そうな別荘家屋やコンドミが数件見え、目のつく場所には不動産屋の看板なども出ていた。ここからこの先、レパルスベイにかけては高級別荘地になっていて、ここに別荘を持つことは、香港在住に限らず海外に住む中国人お金持ちのステータスになっているのかも知れない。

ここからは見えないが、湾の先端の岬の先はレパルスベイで、時間があれば歩いても行けない距離ではないが、先を急ぐので、坂の上のバス停まで戻り、レパルス行のバスに乗車した。だが、後から分かったが、バスに乗ったのは失敗だった。道路は、山の切れ端と海岸線の間を切り開いた1本道で、30年前だったら、この道路1本で十分だっただろうが、車が増えた現在、道路は大渋滞で、バスはにっちもさっちも先に進まない。香港へ来た翌日、ビクトリアピークまでバスで行ったが、大渋滞に巻き込まれ、歩いたほうが早いかと思われたが、今日も又この島の反対側のリゾート地で、同じ状況に巻き込まれた。香港では車の数に比べ、島の中の道路は圧倒的に少ないのだ。



坂の上のバス停に戻り、レパルスに向かう。道路際の樹木は南国風だ。葉はねむの木に似ている。
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バスはしばらく順調に走ったが、岬の上の峠を過ぎて下りに入ると大渋滞に巻き込まれる。
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レパルスはこの坂を下った場所だ。バスを降りて歩いていく人もいる。
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渋滞に巻き込まれ、20分ー30分遅れて、漸くレパルスに着いた。
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Repulse Bay,中国語では浅水湾と呼ばれる。
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