桟橋からシャトルボートに乗り、水上レストランに向かう。そう、ここの正式名称はジャンボ・レストランだ。

40-50人ほどは乗れそうなシャトルだが、今日は3人ほどしか乗っていない。

この辺りはヨットハーバーになっていて、豪華なボートやクルーザーが係留されている。

豪華な大型クルーザーだ。

水上レストラン、Floating Restaurant,にやってきた。

この装飾は40年前と変わらない。

この階段を登って2階のレストランに向かう。

これ等の装飾品に40年前を思い出す。

ああ、奥の土産物展示品、写真撮影用椅子など、昔と全く変わらない。

桟橋の前方200m位の沖合に水上レストランが浮かんでいる。40年前の新婚旅行ではこの船上で昼食を食べた。どんなメニューだったかは忘れたが、乗船の記念に写真を飾り皿に張り付けてもらい、2枚のプレートは既に色あせてしまっているが、まだ自宅に飾ってある。それでその時買った絹のガウンは、冬は暖かく今でも使っている。妻用のチャイナドレスは、余りにも中国的で、1-2回使用はしたが、そのまましまいっぱなしになっている。そんなことも思い出しながら、桟橋からシャトルボートに乗って、レストランに向かった。波が静かなのか、途中の水域には豪華なクルーザーが何艘も係留されていた。どこから見ても日本よりはリッチだ。
日中ゆえか、シャトルボートに乗っているのは、自分を含め3人ほど。レストランに近づくと、その如何にも中華風の装飾に目を引かれる。40年前と変わらない。まあ、このデザイン、模様は変えようもないのかも知れないが。乗船し、2階のレストランに上がる。先刻スタンレー市場で昼食を食べ、お腹が空いている訳ではないが、ここへ来たことの思い出に、ビールでも飲もう。奥の方には土産用のチャイナドレスへ撮影用の椅子なども置かれている。40年前と変わらない。妻と一緒にもう一度この椅子に座って記念写真を撮りたいと思ってはいても、妻は病弱で2泊以上の旅行はできない。自分で思い出をたどるしかない。ビールだけでは淋しいので、簡単なシュリンプの軽食を頼み、どことなく見た覚えのる窓の外を眺め、昔のことなどを思い出した。
食事を終え、艦内を一周し、再びシャトルに乗って桟橋へ戻る。以前はこんな豪華なクルーザーなどは無かった筈だが、香港人の金持ちぶりに圧倒され、バス乗り場に向かう。大きなバスセンターがこの桟橋の直ぐ近く、ヨットクラブハウスの前にあり、香港セントラルに戻るのは便利だ。一旦アバディーンの町中を通り、直ぐに自動車専用道に入り、ビクトリアピークの下をくりぬいたトンネルに入る。ここも又渋滞がひどいが、先刻のレパルス程ではない。まあ、後は帰るだけだから、時間はどれだけかかっても問題ないが・・。
日中ゆえか、シャトルボートに乗っているのは、自分を含め3人ほど。レストランに近づくと、その如何にも中華風の装飾に目を引かれる。40年前と変わらない。まあ、このデザイン、模様は変えようもないのかも知れないが。乗船し、2階のレストランに上がる。先刻スタンレー市場で昼食を食べ、お腹が空いている訳ではないが、ここへ来たことの思い出に、ビールでも飲もう。奥の方には土産用のチャイナドレスへ撮影用の椅子なども置かれている。40年前と変わらない。妻と一緒にもう一度この椅子に座って記念写真を撮りたいと思ってはいても、妻は病弱で2泊以上の旅行はできない。自分で思い出をたどるしかない。ビールだけでは淋しいので、簡単なシュリンプの軽食を頼み、どことなく見た覚えのる窓の外を眺め、昔のことなどを思い出した。
食事を終え、艦内を一周し、再びシャトルに乗って桟橋へ戻る。以前はこんな豪華なクルーザーなどは無かった筈だが、香港人の金持ちぶりに圧倒され、バス乗り場に向かう。大きなバスセンターがこの桟橋の直ぐ近く、ヨットクラブハウスの前にあり、香港セントラルに戻るのは便利だ。一旦アバディーンの町中を通り、直ぐに自動車専用道に入り、ビクトリアピークの下をくりぬいたトンネルに入る。ここも又渋滞がひどいが、先刻のレパルス程ではない。まあ、後は帰るだけだから、時間はどれだけかかっても問題ないが・・。
ああ、写真プレートなども昔のままだ。

これ等の中国服、結構な値段だ。

この時、妻に買ってもらったガウンは今でも使っている。

昔を思い出すように、軽食を食べる。

窓の外の景色は40年前とは大きく変わっているが・・。

ここから見える山並みの景色は変わらない筈だが・・
