ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(21)錦江湾と桜島。

錦江湾に浮かぶ桜島
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今日は天気も良く遠方の高千穂の峰なども見える。
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あの奥の高い山は韓国岳か・・
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ああ、開聞岳が天を突いている!
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桜島がいよいよ近づいてきた。
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錦江湾という地名を意識の中に置いたのは大分後年になってからだ。勿論中学高校で地理を習い、その時点で薩摩半島大隅半島、この二つの半島に囲われた湾が錦江湾ということは授業の中で教わっていたが、深く記憶されることはなかった。この湾の名前が強く意識されるようになったのは、40-50年も昔のことか・・。

当時幾つかの戦記物を読んでいて、あれは確か山本五十六少将が海軍航空本部本部長だった頃、日米開戦を喫緊に控え、最初の攻撃目標をハワイ真珠湾と定めた。湾内に停泊する戦艦、巡洋艦航空母艦を攻撃するには水雷弾による攻撃が効果的と思われた。そこでハワイと地形の似たここ錦江湾が訓練地として選ばれたのだ。

月月火火の猛訓練で有名な海軍の事、連日この錦江湾を舞台に激烈な訓練が行われた。飛行機乗りは先ず桜島を目標にして錦江湾に侵入し、その後海面すれすれまで機体を落として、波頭のしぶきがキャビンの窓に当たる位の海面すれすれの位置で、模擬弾を発射する。そうした訓練を積み重ね練度を挙げていったのだが、その時、自分にはこの錦江湾という名前が強く意識された。それ程の大変な訓練を積み重ねた結果が日米開戦時、その初日にあれ程の大戦果を挙げることができたのかと・・。

だから、スカイレンタカーの事務員がこの垂水フェリーを勧めなくても、多分自分からここへやって来ただろう。錦江湾を横断するフェリーはここともう一か所ずっと南の指宿から直ぐ対岸のねじめ温泉に渡るコースがあるが、指宿は鹿児島からでは遠すぎる。このフェリーのことは山の仲間、鳥さんが佐多岬からの徒歩での日本縦断に際し、佐多岬まで行くのにこのフェリーを利用していたと聞いていた。日本海軍のこともあるし鳥さんのこともある。このフェリーで湾を渡るのは必然のことだったかも知れない。

帝国海軍百戦錬磨の航空隊員、空曹空尉が日々目標にし、腕を磨いてきた山桜島が目の前にある。今こうして海上からこの山を眺め、不思議な気もする。75年前と変わらぬ姿。帝国必勝を念じて桜島に向かって飛び込んでいった若き若鷹。もうほぼ全員が還らぬ人となった。戦争は罪だ、というのは簡単なことだ。当時の状況の中で選択の余地なく、国を思い、家族を思い、仲間に殉じた。今日の桜島は火を噴いていない。熱き火を。



桜島の真正面を通って行く。
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ここからはもう城山は見えない。
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大隅半島、垂水港が近づいてきた。
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間もなく垂水に到着だ。
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名物の船上うどんを食べる間もなく、垂水港に着岸した。
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