ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(33)鹿児島の神父ザビエル。

城山から下り降り、市内で駐車場を探す。
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ホテルから程近いザビエル公園の横に大きな駐車場があった。
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車を駐車し、公園内のザビエル像を眺める。
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ザビエルとアンジロウ、もう一人はベルナルドか・・。
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鹿児島は実にキリスト教伝来の地だ。長崎でも平戸でもない。
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城山からの夜景を眺め、山の裏側にある西郷洞窟にお参りし、街に戻る。ホテルには駐車場がなくて、市内のどこかで駐車場を探す必要があるが、昨日City Tour バスに乗っていて、ホテルからはほど近い場所にザビエル公園があって、その周辺には幾つかの駐車場があった。行ってみると公園の隣に大きな駐車場があって、幾つかの空きスペースもあって、探す手間も省けて助かった。ここからならホテルまで歩いても2-3分の距離だ。

薄明かりの街灯に照らされた公園はそれ程大きくなく、ワンブロックあるかないかだ。時々帰宅を急ぐ人が公園を横切って行く。公園の前にゴシック調の教会があり、この教会は随分以前にローマ法王から寄贈されたものだが、その教会の前庭的位置づけでこのザビエル記念公園は作られているようだ。園の正面に3人の石像が建っている。ザビエルと従者二人、アンジロウだ。アンジロウは薩摩人だが、ザビエルが日本を去る際に一緒に付いていき、ゴアで亡くなっている。

ザビエル神父の名前はキリスト教徒でなくても日本人なら小学生でも知っている。それは日本が西洋との最初の接触として、ポルトガル船が遭難して種子島に漂着した時から始まる。この時初めて鉄砲が日本に伝来して、日本では鉄砲のことを長らく「種子島」と呼んでいた。それはコロンブスアメリカ大陸を発見した1492年から50年も経っていない頃で、その頃既に世界の海はスペインとポルトガルに二分されていて、主に南米大陸をスペインが、アジア方面をポルトガルが分割統治するとの取り決めで、ポルトガルはインドのゴア、マラッカ海峡モルッカ諸島、中国のマカオ(上川島)等々、アジア方面に着々と勢力を伸ばしていた。

そんな時鉄砲を大量に積んだポルトガル船が難船したのだが、時は戦国時代の走りの頃、日本のどこかの守護大名に売り込みに来たのだが、途中嵐に遭遇して難破したのだろう。この時が国内における日本人とポルトガル人との初めての接触となったのだが、それから僅か1-2年、殆ど時を移さずして、ザビエル一行が日本へやってきた。一行と言うのは、ザビエル及び従者のアンジロウだけでなく、ザビエルを中心とする布教団のチームとして、この日本にやってきたからだった。その最初の上陸地がこの鹿児島城下だった。

昨日城山から降りてきて、JR鹿児島駅まで出て、そこから市電に乗って天文館まで出たが、その駅の先が鹿児島港で、戦国時代からここは南蛮貿易船の寄港地になっていた。ザビエル一行はここ鹿児島を起点として布教活動を開始し、チームは何組かに分かれて西国日本の各地へ散っていった。その記念すべき地がここ鹿児島で、日本に最初にキリスト教が根を下ろした地として記念されている。

丁度2カ月前、マカオを旅行し、かの地で亡くなったザビエルのお墓にお参りしたことを思い出しつつ、この西洋風の白い石像をしげしげ眺め、公園を横切ってホテルに戻った。今日は500キロ近くを走った。明日は夕刻の便で帰京する。今日以上に早起きして枕崎まで行く予定だ。疲れもあるし、早目にベッドに横になった。



         
翌朝は朝早くホテルをチェックアウトし、枕崎に向かう。
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途中の錫山峠から鹿児島湾を眺める。
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丁度これか陽が昇るところだ。
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ああ、又桜島が燃えている。
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桜島、・・何回見たことだろう・・。
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