ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(38)坊津の磯を眺め開聞へ。

坊津の岬の右手には波静かな広い湾が広がっていた。
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磯に下る道路があったので、浜辺まで降りてみる。大きな湾は波静かで、透き通った海水だった。
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再び岬の上に戻り、もう一度坊津を眺める。
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霧が坊津の集落を覆っている。
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枕崎に戻る峠の上で、遥か先に開聞が見えた。
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峠の中腹から枕崎の市街地を眺める。
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坊津の岬の上は見晴らしも良く、奈良時代の津の形状が良く観察できた。波静かな湾、今も昔も良港だ。ただ時の変化とともに外港としての役割は北の長崎、平戸、唐津那の津等々に移って行き、次第に廃れていって、今では歴史上の名前でしか知られず、もう殆ど過疎の集落となってしまった。嘗ての人口がどれ位で、今の集落がどの程度か等は当方トンと知識がなく、知る由もないが、こうした古い集落、古い家系は鑑真がやってきた1300年、薩摩国の当主、島津家が興った900年、1000年も昔から続いているかも知れない。薩摩は隼人以来の古い国だ。

岬から右手を見ると、大きな湾になっていて、何の養殖が筏が湾内に浮かんでいる。海辺まで下れる道路もあって、磯まで降りる。ちょっとした浜辺の休憩地になっていて、夏場ならここで家族連れが浜遊びなどできそうだ。浜に出ると、海水は綺麗に透き通っている。魚でもいれば、泳いでいる姿も見れそうだが、今はそんな魚もいない。嘗て中国の海は上海でも寧波でも補陀落でもあちこち見てきたが、どこも黄色く色がついていた。それは揚子江の巨大な流れが絶え間なく黄土を海に流し続ける結果の着色された海水なのだが、鑑真も透き通った、この日本の海の海水を見たら、どれ程か感動しただろう。今も昔も変わらぬ山紫水明の国。

薩摩はあちこちに火山の噴火する国、半島だ。波打ち際には沢山の小石が打ち上げられていて、それ等の大半は軽石だ。その幾つかを拾い集め、持ち帰る。今ではその軽石は帰宅後の自宅の風呂場に浮かべて楽しんでいる。坊津を思い出し、更にまた遠い古代に想像を逞しくする。

軽石をお土産に磯から岬の上に戻り、再び坊津を眺め、開門に向かう。枚聞神社へ行くためだ。100名山最初の山が開聞岳で、この山に登る直前、この神社に参拝し、日本の100座登頂を願った。足腰の不具合により道半ばで中断せざるを得なくなったが、その15年前のお礼参りだ。この宮の後ろに聳える開聞の勇姿には忘難いものがあった。



この辺りは海風を利用してか、丘の上には電力発電の風車も見える。
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枕崎を過ぎると、開聞が正面に大きく見えるようになる。
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開聞が海上に浮かんでいる。
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車を止め、開聞を拡大で撮る。
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開聞がいよいよ正面に見えてきた。
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薩摩半島のどこからで開聞はは大きく、秀麗に見えている。
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