ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(29)パドロンの街歩き、墓地と公園。

正面が無人駅のパドロン。前に車が数台駐車している。線路の反対側に1軒ホテルがあるだけだ。
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車が多く通る道路に出て、町の中心部への道順を尋ねる。近くバールがあって助かった。
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駅前には殆ど何もなく、寒村とした感じで、ノーベル賞作家のカミロ・ホセセラの案内などどこにも出ていない。
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山から流れ来る川もあるが、日本のように護岸工事がされていて、田園の小川の雰囲気はない。
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川の畔に墓地がある。入ってみよう。
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パドロンの駅に着いたが、無人駅で駅員に聞くこともできない。2-3人降りた乗客はさっさと車に乗り込んで、どこかへ行ってしまった。線路の反対側にホテルが1軒あるだけだが、そこへ行くまでには、ぐるっと大回りして踏切を渡らなければならないが、果たしてホテルが営業中か閉鎖中かもここからでは分からない。駅舎から100m程先に車が時々通る車道があって、そこまで出ると、角に1軒バールがあって、賑やかな声が中から聞こえてくる。大声で、町の方向を聞くと、この道路を真っ直ぐ歩いて行けば、市内に出るとのことだ。純朴なのか、たどたどしい英語で、更に大声で教えてくれる。酒の勢いもあったかも知れないが・・。

駅は市の中心から大分離れた畑の中に作られたようだ。この角のバール以外にも、道路の向かい側にもう一軒のバールがあって、昼間から賑わっているが、この駅周辺にあるのは、この2軒のバールと向かい側のホテル位だ。まあ、市内まではそれ程遠くもなさそうなうで、街に向かって歩いて行くことにした。しかし、ノーベル文学賞受賞作家の生誕地でありながら、駅にもどこにもそれを讃える表示とか、案内板がどこにも見当たらない。スペイン人が慎ましい民族とは思わないが、この土地柄、地方性なのか・・。

町に向かって歩いて行くと、向こうから大きなリュックを背負った30-40代の女性と行違う。行き違いに、「何とか○○のホテルはどこか?」と当方に聞いてくる。手ぶらで歩道を歩いていたので、自分のことを地元のスペイン人と勘違いしたようだ。ホテルの名前は分からないが、多分駅前のホテルに違いない。この先に一軒ホテルがある旨を伝え、併せて、自分はスペイン人ではなく日本人だ、と教えてやったら、ドイツ系かノルウエー系らしいその大柄の女性は、きょとんとした顔つきをして、駅の方へ歩いていった。顔つきや、歩き方からして、相当に疲れている感じだった。

駅からそれ程離れていない場所に小さな川があって、昔は多分田園の小川に違いなかっただろうが、今は両側をコンクリートの護岸で覆われ、遊歩道もなく、これは全く日本の川と同じような情景だが、その川と道路が接する場所に小広い墓地があり、その墓地を少し覗いてみることにした。信仰心篤いカトリック教徒の墓地とは如何なるものかと。中に入ると、日本風の墓石とは違った扁平で平らな墓石とか、カラフルで、写真を焼き付けたりした利の墓石で、如何にも西洋的だ。中に、壁のようなパネルの墓石もあり、そこには数人の顔とか名前が交互にはめ込まれている。ああ、日本で言う処の墓地のアパートだ。集合墓地。人間考えることは洋の東西を問わないものだ。

そこからもう少し歩くと、町の中心の辺縁に出て、そこには小奇麗に手入れされた公園がある。町の人の憩いの場所に違いないが、今この公園を散歩している人はほんの数人に過ぎない。静かな公園を横切って、街に出た。




カトリックの墓地。カラフルで立体的だ。
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ああ、墓地の団地。日本と変わらない。いや、日本が後から導入したのか??
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町の入り口に小奇麗な公園があった。
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昼時の公園。散歩している人の姿は殆ど見えない。
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ああ、石の芸術。ガウディの国らいしい・・。
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