ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(36)ビーゴ城塞公園を下って、バスターミナルへ。

港の見える丘、カストロ城址の丘から下って、ポルトガル行の旧駅に向かう。
イメージ 1



ビーゴの街では、街中でこうしたオブジェによく出会う。
イメージ 2



通行人に聞いてやって来たのは、朝サンチャゴから到着した新駅の方で、旧駅はこの坂の下の方にある。
イメージ 3



新駅から旧駅まではタクシーで北が、ポルト行の列車は既に出た後で、駅員に教えてもらって、市内循環バスに乗って、バスターミナルへ向かう。
イメージ 4



街の繁華街から少し行った先に大きなバスターミナルがある。
イメージ 5





ビーゴはスペイン北西部ガリシア地方の州都で人口は約20万人。同じ州内にあるサンチャゴは10万人にも満たない都市だから、町の大きさや規模、活気さは格段に上である。大西洋、ビスケー湾にも近く、ここの漁港の漁獲高はスペインでは一番ということである。城塞の本丸の今なお残されている丸屋根の歩哨ポストの付近からこのビーゴの街と港、湾を眺め、旧駅に向かうことにした。ポルト行の電車が1日何本あって、次の列車は何時にでるのか、全く予備知識がないので、兎も角駅まで行って確かめなければならない。

ビーゴで一番高い丘、この丘がどれ程の高さかは分からないが、良く登る八王子城址から眺める直下の八王子市内、その先の都内や関東平野の眺望からして、この丘は精々200m、高くても300mはないと思われるが、その丘の城址公園、カストロ城址を下り駅に向かうが、今度は登って来たスペイン広場とは90度違う道路に沿って下る。道々駅の方向を聞いたりして向かって行ったが、この丘を取り巻く道路は、鉢巻状になっているのか、いつの間にか、最初に降りたRenfe新駅、Bigo-Urzaizに出てしまった。道を尋ねた際には、ポルトガルへ行く旧駅、と言って方向を尋ねたのだが、皆、この新駅を指示した。車社会、車で移動する人々にとって、ポルトガル行の列車の出る旧駅などは、頭の中にないのかも知れない。

結局新駅からはタクシーに乗って旧駅に行くことにしたが、そこは駅舎は新しいが駅員も殆どいないような小さな駅で、駅員に聞くと10時半の列車は出てしまって、次は3時半になるとのこと。成程時刻表を見ると、ポルト間は1日数本、3-4本の列車しか走っていない。マイナーなのだ。ここも又鉄道よりか、人々は車で移動するのだろう。困って駅員に聞くと、バスターミナルから長距離バスが出ているという。市内循環バスの乗り場を教えてくれて、バスターミナルへ向かった。

循環バスに乗って市内の繁華街を通り抜けるが、中々綺麗な街だ。流石に県庁所在地の都市だけのことはある。ビーゴのバスターミナルは人口に比例してか、サンチャゴの倍以上の大きさで、1階がバスの発着所、2階にチケットブースや食堂、雑貨店なども営業している。バス会社も数社が窓口を持っていて、有名なALSAバス会社の窓口もある。ここまで来れば安心だ。後は問題なくポルトへ行けるだろう。今は時間外なのか、チケットブースの窓口は閉まっているが、1時半のポルト行がある。だとするとまだ十分時間もあり、ここの食堂でゆっくりお昼も食べられそうだ。

「OPORT」,確か小中学校の地理の教科では、ポルトガルのこの都市のことを「オポルト」と教わり、自分は今でもその記憶があるが、何時の頃からはこの町は「ポルト」と呼ばれるようになり、「オ」が省かれている。この町の特産ワインも「ポルトワイン」と呼ばれ、「オポルトワイン」などと言う人に会ったことはない。それが今このチケットブースを見ると「OPORT」行と出ている。

・・ああ、「オポルト」・・。懐かしい名前だ。・・そうかスペイン人はポルト市のことを「オポルト」と呼んでいるのだ。60数年前自分はそれを学校で教えられ、未だに記憶している。子供の頃の記憶は中々忘れないものだが、「オ」付きの「ポルト市」の疑問は、今ここで氷解した思いだ。そんなことを考えながら、ゆっくりお昼のランチを食べ、バスの出発を待った。



2階建てで、1階にバス発着所、2階がチケット窓口、簡易食堂、雑貨店などが入っている。ALSAバス会社もあって、安心だ。
イメージ 6



OPORT! 昔はオポルトと呼ばれ、今は名前が変わってポルト市と呼ばれるようになったのかと思っていたが、スペイン語では、未だに「オポルト」と呼んでいる!
イメージ 7



次のポルト行は1時半、チケットブースが開いて、切符を買っておく。
イメージ 8



出発までには十分時間がある。同じフロアーの簡易食堂で、お昼を食べる。トイレを心配し、ビールは差し控える。
イメージ 9



さて、ポルトに向けて出発だ! ビーゴの街中を通り抜けていく。
イメージ 10