ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(44)ドン・ルイス1世橋を歩く。

ポルト大聖堂を出て、これからドンルイス1世橋へ向かう。
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地元の画学生か、大聖堂を熱心にスケッチしている。
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この道路を下った先にドンルイス1世橋がある。
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この道路はトンネルの上にできていて、橋の手前でストンと切れている。
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ドンルイス1世橋。用途は電車の鉄橋だったのだ。
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ポルト大聖堂は高い岩盤の丘の上に建っていて、その直ぐ横の岩盤の下をくり抜いて鉄道のトンネルを作り、その延長線上にドウロ川を跨ぐドンルイス1世橋が建設されている。ドウロ川のこの辺りは渓谷になっていて、深い切込みが川に向かって落ちている。橋はその渓谷の両側のサイドを高い位置で結ぶように作られている。主たる目的は線路で、鉄橋ではあるのだが、その線路の両側には2m幅の歩道が作られていて、人々がその歩道を歩くことは可能だ。これは両側の住民の通行用ではなく、最初から観光客へのサービスとして作られている。それは丁度シドニーのハーバーブリッジと同じコンセプトだ。

大聖堂の横の幅広の道路、この道路の下には地下鉄のトンネルが作られているのだが、その道路を橋に向かって下って行く。道路の真ん中にテーブルを並べてレストランが営業しているのは、先刻の河岸のテラスでも見たし、他の場所でも見ている。既得権益なのか入札制なのかは分からないが、こうした営業パターンはラテン系の国に多い。おおらかで開放的で、通行人とお客と店が混然と一体になっている。

そのテーブル席の下がストンと落ちていて、トンネルの延長線上の橋に降りることができる。歩いているすぐ下を轟音を立ててて電車がトンネルから出てきて、鉄橋を走り去って行く。Realty十分な臨場感だ。日本でも踏切で電車が通り過ぎるのを緊張感を持って待つことはあるが、ここは直ぐの足元、又の下から轟音と共に電車が出てきて、橋の上の線路を走って行く。実に面白い体験だった。

橋の総延長は1キロもないだろう。凡そ800m程か。線路と遊歩道との間には遮蔽壁とかガードレールのようなものはなく、通行人は自由に線路に入り込むことができる。それは市内を走る市電の線路と同じ状態だが、市電と違って電車はスピードも速く、重量も遥かに重い。ちょっと接触でもしたら一巻の終わりだ。そんな危険を鉄道会社、政府は放置している訳ではないだろうが、この国、欧米では、押しなべて自己責任だ。電車が走る前に体を出せば死ぬのは確実で、そうした行為で死んでしまうのは、自己の責任だ。会社も政府も関与もしなければ責任も負わない。全く徹底した個人主義の考えで、むしろ気持ちが良い。

遊歩道を歩いていると後ろからゴーっという音が聞こえてくる。ああ、電車がやってくる。遊歩道の端の方に身体を寄せて、電車が通り過ぎるのを待つ。自分の身を守る当然の行為だ。こんな場所に耳の聞こえな人や、車椅子の人はやってこない。日本のどこか、奄美大島の空港かどこかで、車椅子で旅行している人が、空港にはリフトも無いし、アシストも居なかった、と大騒ぎして新聞記事になっている。

そんな甘さはこの国にはない。人の助けを借りなければ旅行出来ない人は旅行をするべきではないし、どうしても旅行したければ自己の費用で助けを借りて旅行すべきだ。それが自己責任の国、欧米の考え方だろう。この危険極まりない遊歩道で、多少の気持ち良さを感じ、見晴らしの良いポルトの渓谷美を眺めた。



線路の横に2m幅の遊歩道があるが、遮蔽壁もガードレールも立ち入り禁止の看板すらない。
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電車は歩行者の横をかなりの猛スピードで走り去って行く。
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鉄橋の上から眼下のドウロ川を眺める。
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現代の鉄橋から眺める500年の歴史を刻んだ街。
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ドウロ川の上流。上流にはもう1本別の鉄橋が架かっている。
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