ちゃおチャオブログ

日々の連続

奄美の3日間(15)名瀬のループ橋を見て西郷南洲流謫跡へ。

おがみ山公園を出て、次に向かったのは島尾敏雄の記念館で、このループ橋の近くにある筈だが、行きつけなかった。
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これは又豪華なループ橋だ。離島振興の一環で建設されたに違いない。
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このループ橋の丘の上に火葬場があるが、普段利用している車は少ないようだ。
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空港へ向かう途中、田中一村の終焉の家に立ち寄る。
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随分古い家だが、彼はここで一人詫び住まいをしていた。
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おがみ山の山上から名瀬市街地を一望し、山を下り、大島支庁の駐車場に止めて置いたレンタカーに戻り、名瀬市内でもう1ケ所見て置きたい場所があり、そこへ向かった。それは国道58号線、大島高校近くにある筈の島尾敏雄記念館へ行って見ることで、島尾の最後の修羅の家庭生活を覗き見る事だった。

国道から入って、近くの住宅地まで行き、通行人に聞いても見たが、それ程メジャーでない作家、名前を言っても知っている人もなく、諦めて引き返すことにした。行った処で火宅の人、阿修羅のような自宅跡を敢えて見ることもないだろう。それよりかむしろループ橋の方が素晴らしい。ループ橋で有名なのは伊豆半島湯ヶ島の先にあるものだが、ここのもそれに引けを取らない、大きくて、高さも十分あるものだ。国の大盤振る舞い、離島振興策の一環として、この様な豪壮な道路を作ったのだろう。が、普段利用されているのは、この丘の先にある焼き場を利用する車位なのだろうが・・

まだ時間は大分早いがこれから空港へ向かって車を走らせる。空港までの途中に西郷が流罪になった場所がある。一昨日空港から名瀬市内のホテルに来た際に、道路際にこの住宅の案内板、「南洲流謫地」との看板が出ていたが、一昨日は午後の遅い時間で先を急ぎ、立ち寄ることはできなかった。今日はもう場所は分かっているので、迷うことはない。

ループ橋からは、58号線を左に奄美高校、右手に大島高校を見て、長い和光トンネルを出ると、今度は田中一村終焉の家、との看板が見えてきた。彼も又中央画壇で名の知れた有名画家ではないが、郷土の誇りだ。栃木で生まれ、千葉で育ち、芸大を出て、不遇のうちにこの島で亡くなった。終焉の家、寄ってみよう。

その家は集落の行き止まり、後ろに山を控えた半分藪の中にあるような家だった。隣に沢が流れ、集落よりは一段高い台地の上にあって、敷地は広いものの、遠目からでもあばら家のようで、ここで侘しいい一人生活をしていたのだ。世捨て人ではないとしても、彼の芸術が世に受け入れられず、日々の生活にも困るような生活を営んでいた。享年69歳。台所で家事をしている際に倒れた。誰にも看取られず死んで行った。

ここからは車で30分も掛からない龍郷町に南洲流謫地跡がある。流謫地は深い湾に面した集落の中にあった。今は海沿いにバイパスが作られ、海辺からは大分中に入っているが、嘗ては浜に近い磯部の家だった。四周を石垣で巡らせた、落ち着いた住居だった。西郷はここで約2年島娘愛加奈との平和で落ち着いた日々を過ごしていたのだ。



次に向かったのは西郷南洲流謫地跡。彼はこの波静かな龍郷湾の浜辺に流された。
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どんな思いで、この島にやって来たのか・・、いや、流されたのか・・。
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西郷が鹿児島から船で送られ、最初に上陸した地は、今は観光名所にもなっている。
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時に西郷30歳、この地に遠流の身となった。
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2年間、島娘愛加奈との愛の巣を育んだ旧居。
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