ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(89)グアダルキビル川の畔で。

花壇の向こうに川が見える。
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かなり大きな川で、水量も豊富だ。
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この川の名前はグアダルキビル川。ずっと先の100キロ程の上流のコルドバ、更にその先までずっと続いている大河だ。
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この川を100キロ程下ると大西洋になる。
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500年前、アフリカやアジアからやって来た帆船は他西洋からここまで登ってきて、この場所で荷を下ろした。今は、優雅なクルーズ船が係留されている。
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セビリアの市中を流れる川は大きくて、水も澄んでいる。川の名前はグアダルキビルという。川幅はバンコクを流れるチャオプラヤー川の半分程もなく、行き交うボートの喧騒さもないが、豊富な水量がゆっくりと流れる様は、矢張りこの川もチャオプラヤー同様に、重要な河川の舟運、水上交通路だったことが分かる。残念ながら過去形で言わざるを得ないのは、チャオプラヤーは現在もタイを南北に貫く基幹水運路ではあるが、ここスペインのグアダルキビルは、既に舟運の機能は失われ、観光用のクルージングか或いは河岸の遊歩道に限られていることである。

「黄金の塔」、「Torre Del Oro」が燦然と輝いていたのはもう数百年も前のことであり、当時この川も今バンコクで見るチャオプラヤー同様に数多の小舟、大型帆船、ガレー船等々で、犇めいていたに違いない。この黄金の塔はそれ等の往来を監視し、監督し、関税する役割を持っていた。図太いチェーンを対岸との間に渡し、不審船が現れた際には、そのチェーンを上に上げて、通行を阻止したりしていた。それは英仏が世界の覇権国としてのし上がって来る以前のスペイン・ポルトガル両王国の二人天下の時代だった。

今はそうした喧騒を離れ、静かなものである。午前と言うこともあるのか、散歩する人も見当たらず、クルーズ船も出航する気配もない。人々は今はのんびり生活し、このクルーズ船の船長も船員も、1日1回川を往復すれば、つましくとも十分な生活の糧を得ることも出来るのだろう。この国の若者の失業率は20%前後と言われている。日本人から見たら驚愕的な数字で、いつ暴動が起きてもおかしくない高い失業率であるが、この国の若者には、そうした焦った衝動は見られない。もう既に最初から諦めているのかどうかは分からないが、こんな高失業率でも社会は落ち着き、安定し、混乱もなく、公共の花壇や公園、施設なども小奇麗に整備されている。今は使われていないこの「黄金の塔」にしても嘗ての威容は失われているとしても、時代の風化に崩れ落ちることもなく、そこに建っている。矢張りいい国だ。

花壇に落ちていた小石を2-3個拾い、どこまで届くか、思い切り川面に向けて投げてみた。500年前のセビリアの少年も同じようなことをしただろう。・・何となく、何となくそうしてみたくなった。500年前の人々との共通の認識は得られないかも知れないが・・。そうだ、そろそろアルカサルへ戻ろう。もう、朝のラッシュアワーは終わっているだろう。



河岸は綺麗に整備されているが、散歩する人は少ない。
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たまにサイクリングする自転車を見かけたが・・・
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河岸からは前方に大聖堂、ヒラルダの塔が見える。案外近い場所にあったんだ・・。
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河岸の花壇に咲く花。タイのゴールデンシャワーにも似ているが・・
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河岸に面した建物。イスラミック風の模様が美しい。
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