ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(101)コルドバ歴史保存地区散策。


古い街並みで古層が幾重にも重なっている感じだ。
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この大通りを下って行った場所に橋がある。
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川に出てきた。ローマ橋だ。
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ローマ橋を途中まで歩いてみる。・・そうかあ・・、この道がローマまで通じていたのか・・。
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橋の袂には立派な城門が見える。
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コルドバは古い街だ。ローマ時代から街が開かれ、長らくローマの植民地、直轄地となっていた。紀元前3世紀、かのカルタゴの覇者ハンニバルが象の機動部隊を引き連れ、アルプス越えをした時も既にこの街は出来ていたが、ハンニバルの圧倒的な力の前には、ローマ人もなすすべも無かったに違いない。その後8世紀になってこの街はイスラム勢力に占領され、アンダルシア地方の主都と位置付けられた。

ここにウマイヤ王朝、西カリフ帝国が築かれ、その栄華は東のコンスタンティンと並び称されたと言われる。しかしその後今までサンチャゴ、ポルトリスボン等で見てきた様に、12世紀以降のキリスト教徒による国土回復闘争、レコンキスタによりこの街からイスラム勢力が追い払われ、以降白人国家、スペイン人の街となっている。
そうした2500年以上も続く長い歴史の上にこの街は形成されてきて、幾つもの古層の上に新たな様式の街並みが形成されてきた。古い土蔵造りの建物があるかと思えば、その隣には綺麗にカットあれたレンガ造りの建物、イスラム風のネギ坊主があるかと思えば、キリスト教的な直線状の構造物。歴史に関心と知識がある者にとっては、この古い街の散策は興味が尽きないことだろう。

ローマ橋を歩く。当然この石の橋は後年再築されたものに違いないが、ローマの時代からここにこの橋があったに違いない。橋の付け根には城塞の城門を兼ねた豪壮なローマ門があり、ここから道、ストラーダローマ帝国テベレの門まで繋がっていたに違いない。すべての道はローマに通じる、と。ローマのコロセウムは今なお我々現代人の前に古色蒼然の姿を見せているが、この橋にしてもローマ門にしても、イスラムにより破壊され、その後歴史保全の目的で、再築されたのだろう。

今はこれ等の遺跡や再築物は大きな観光遺産となっていて、門の傍には、8等身のファッションモデルのような案内嬢がにこやかに写真撮影に応じている。見ていると中国人のような女性が案内モデル嬢の間に立って記念写真を撮っている。写真好きの処は案外日本人かも知れないが・・。それを見て自分も1枚撮ってもらうことにした。良い記念になるだろう。



ああ、ローマ門、当時の凱旋門だ。
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近年になって再築されたものだが、立派な城門だ。
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城門の下にはファッションモデルのようなガイド嬢が立っている。
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東洋系の女性が記念写真を撮っていた。
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この付近には流石に沢山の観光客が集まっていた、
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