ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(105)メスキータを出て、旧市街を歩く。

1時間ほどのメスキータ観光を終えて外に出る。
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メスキータの外壁。流石に長くて大きい。
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反対側に回ってみる。右手が外壁だ。
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これから少しコルドバの旧市街を歩いてみる。
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いやー、狭い道路が迷路のように続く。
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狭い通路の中に土産店やレストランなどもある。
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地下空間のような広大な複合施設メスキータをを出ると、外の陽光がまぶしい。南国の太陽だ。同じスペインでもここアンダルシア地方は冬も暖かく、地中海に面するマラガなどはコスタデルソル、太陽海岸、とも呼ばれ、昔は日本からも定年退職者が余生を過ごす場所として一時期ブームにもなったが、日本経済退潮と共にそのブームも過ぎ去ってしまったが、つい最近、俳優の日下武史が、確か85歳でこの地で客死したが、まだ何人かの日本人も居住しているようだ。

西洋の攻防いや興亡は、ギリシャ・ローマの衰退から始まって、ここイベリア半島における失地回復運動、レコンキスタ、その後の英仏独の覇権争い、等々、戦記に明け暮れている感もあるが、そのレコンキスタの最大の攻防戦はここコルドバであり、モスレム最後の土地グラダナであった。その間の数百年間、この地域が西洋文明とイスラム文明の干渉地帯となっていて、より進んだイスラム文明、技術の多くが西洋に取り入れられた。その結果として白人社会でいち早く目覚めたスペイン、ポルトガルが航海術等を身に着け、世界の海に羽ばたくこととなり、14-5世紀から始まる大航海時代を迎えることになったのだ。

旧市街は白壁が多く、道路も狭い。この街にはユダヤ人が多く住んでいて、白壁はその影響ともいわれるが、エーゲ海のサントニーニョ島も家々は白で統一されていて、白い建物が必ずしもユダヤ人の特許とも言えないだろう。通路が狭いのは昔からのことで、それがローマ時代からそうだったのか、或いはイスラムのカスバを思わせる迷路のような名残なのかは分からないが、いずれにしても古い都市、中世的な景観だ。その狭い道路を観光客の一団がぞろぞろ歩き、通行を譲りあっている。小さな土産店んどもお客で一杯だ。

通路が少し広くなった場所に例のごとくテーブル席を外の道路に出して営業しているレストランがある。沢山の人でほとんどが満席だ。もうそんな時間、お昼の時間になっているのか。夏の陽光の下で皆さん気持ちよさそうに食事をしている。そうだ、自分もそろそろお昼にしようか・・。



狭い路地の向こうからセニョリータが歩いてきた。
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路地の向こうにミナレットが見える。
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通路が広くなった。日本人のツアー客のようだ。
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道路の広い場所ではテーブルを外に出してレストランが満席だ。
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さて、自分もどこかでお昼を食べようか・・。
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どこか良い店はないかなあ・・。あれは何だろう??
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