ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(109)アルカサル庭苑を歩く。

庭苑の入り口には案内板が立っている。14世紀にアルフォンソ4世がこのアルカサールを作ったようだ。
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イスラム風の噴水庭苑だ。
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水深の浅いプールが段差をつけて、水が流れるようになっている。
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今は噴水は止まっているが、一斉に噴き上げたら見事だろう。
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魚も泳いでいる。
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ブラックバスか・・。鯉ではないようだ。
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さてこれからアルカサルの庭苑を見に行こう。アルカサルへ来て、歩かざるを得ないのだ。こんなところがスペイン語と日本語の語感の似たところか。庭苑の入り口に案内板が立っていた。それによると、この庭苑はコルドバの盟主アルフォンソ4世により1328年に作られたとのこと。アルフォンソ4世と言えば、先刻広場で見た堂々たる騎馬像の英雄で、先日の旅の達人悠久のボヘミアンさんより、この像は「El Grand Capitan」、コルドバの大提督で、将にこのアルフォンソ・ゴンサロそのものだ。

もう既に14世紀前半にはこの地がキリスト教徒により失地回復が行われていたのか。この50年後には鉄砲が早くも南蛮ポルトガルから日本にもたらされてきたのだから、このイベリア半島もほぼ全域の失地は取り戻されていたのだろう。そう言えば今思い出すに、あの騎馬像の英雄、時代的には日本の源平時代の鎧兜で着飾った騎馬武者像を彷彿させるものがあったが、こうしたカバレロと武士道、言葉の語感もそうだが、歴史的な文化や発想も案外似ていたのかも知れない。

その案内板には更に正面のタワーのうちの1つはオリジナルで、他の一つは15世紀に建造され、19世紀にはここは刑務所になっていた、とのことである。とするとリスボンにあった丘の上の王城、サンジョルジェ城と同じ命運をたどったことになる。更にこの庭は3世紀頃のローマンモザイクを模した庭苑になっているという。そう言えば、部屋で見たモザイク模様の人物像があったが、そうか、あれも又ローマンモザイクだったのか・・。それでは庭を歩かざるを得ないか・・。

隣町のグラダナにあるアルハンブラ宮殿や、同じくモスレムの流れを汲むインドのアグラのタージマハールもそうだが、ここの館の前には大きな噴水付きのプールがある。これが中国王朝の離宮だったら、深い池を掘って、満々とした湖面に竜頭船などを浮かべるのだが、モスレムの池はどこも浅く、観賞用にできている。水遊びするようにはできていない。基本、沙漠の民には親水性はなく、むしろ機械的幾何学的な噴水プールが好まれているようだ。

歩こう、歩こう、歩かざるでは何も見られない。広い園内をプールを一周し、花壇の小道を歩き、ローマ時代から始まって、カルタゴの侵攻、イスラムの支配、キリスト教徒の失地回復と世界覇権、イザベラ女帝とカール大帝、ああ、スペインではカルロス大帝だ、連綿と現代に至るスペイン王家と欧州貴族。案内板によれば20世紀になってこの施設、アルカサルはコルドバ市に買い取られたと出ていた・・。それまで、誰が所有者だったのだろうか・



花壇もきれいに整えられている。
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日本でも見られる花だ。
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モザイク模様の花園か・・。
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セビリヤのアルカサールと少し似た所もあるが・・。
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ああ、西洋的な柔らかい花だ。
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記念写真を1枚撮って、アルカサールを出ることにした。
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