ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(110)コルドバのユダヤ人街「花の小道」を歩く。

アルカサールの裏手にはユダヤ人街が広がっている。
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コルドバは紀元前からローマ帝国の海外領土だった。ユダヤ人はその頃からすでにこの町に住みついていたのだろうか・・
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各住宅の窓辺は綺麗な花で飾られている。
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ユダヤ人は昔からこうした白を好んでいたのか。
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ああ、花で飾られた住宅だ。ピラトは確かローマ人だと思ったが・・
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さてこのコルドバへきて、2か所の観光施設を見た。最初のメスキータと次にアルカサール。後の時間はゆっくり街歩きでもしてみよう。今朝駅からバスに乗って川沿いのホテルに来た時、高台の新市街地を通過してきたが、新市街もなかなか綺麗に整備された魅力的な街だ。そっちへ向かって少し歩いてみることにしよう。どの道それ程大きな都市ではなく、どこへ行くにしても徒歩圏内だ。

アルカサールを出た先にユダヤ人町がある。2000数百年前、ローマ皇帝によりユダヤの地を追い払われたユダヤ人は、その後世界各地に散らばり、中には流浪の民になり、中にはユダヤ人同士が強く結びついてゲットーを作り、ユダヤの風習と教義を頑なに守り続け、2000年の流浪の後に漸く約束の地にイスラエルを建国することができた。国を失った民族の運命は過酷で、各地で迫害、追放に遇ったが、民族は絶えることなく、現在に生き延びている。

ヒトラーの行ったジェノサイドは全く酷いもので、この民族の根絶やし、種の根絶を図ったものだが、彼が何故あのような狂気の考えに憑りつかれたのかは、未だに自分には理解できない。ユダヤ民族は優秀で、多くの科学者、芸術家、金融資本家を輩出し、民族単体としては最も多くのノーベル賞受賞者を出している。そんな彼等を皆殺しにするとは、ヒトラーも何かの歯車が狂い、狂っていたに違いない。

コルドバユダヤ人街がいつ頃から出来ていたのかは、自分には分からない。歴史の古い民族で、商業に長けていたから、ローマ帝国がこの半島を植民地にした紀元前頃から、ローマ人と一緒に入植してきたのだろう。Roman Masacle,ローマの大虐殺で帝国は滅び、植民地は失われ、この半島もローマ人に代わってモスレムが進出してきた。領主、家の主はローマ人からベルベル人に代わっても、彼等はこの町に住み続け、ゲットーのような民族同士の強い結びつき、助け合いで乱世を生き延び、現代に生きている。

真っ白のテラコッタの白壁が曲がりくねって続いている。2階の窓辺には小さな出っ張りを作り、綺麗な花で飾られている。この一角はスペインとは全く違う国の違う街へ来たようだ。きっと心優しい民族に違いない。清潔で綺麗好きは日本人と似ている。戦前「日猶同祖論」などの本も出版されていたが、この殆ど無人に近い、通行人の全く耐えた昼下がりの真白の小径を歩きながら、ずうっと昔に日本ユダヤの共通の祖がアララトの麓から東西に分かれていった空想を楽しんだ。



この様な住宅にどんな人が住んでいるんだろうか・・
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今はシエスタなのか・・、誰一人通行人がいない。絵の中の街に迷い込んだようだ。
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ああ、犬までシエスタだ。
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鳩までシエスタか・・
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さてこの動きの全く止まったナルコレプシーの世界からそろそろ抜け出そうか・・
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